訓読 >>>
470
かくのみにありけるものを妹(いも)も我(あ)れも千年(ちとせ)のごとく頼みたりけり
471
家離(いへざか)りいます我妹(わぎも)を留(とど)めかね山隠(やまがく)りつれ心どもなし
472
世間(よのなか)し常(つね)かくのみとかつ知れど痛き心は忍(しの)びかねつも
473
佐保山(さほやま)にたなびく霞(かすみ)見るごとに妹(いも)を思ひ出(い)で泣かぬ日はなし
474
昔こそ外(よそ)にも見しか我妹子(わぎもこ)が奥城(おくつき)と思へばはしき佐保山(さほやま)
要旨 >>>
〈470〉このようにばかり常のない世であるのに、妻も私も千年も続くかのように頼りにしていた。
〈471〉家を離れていく妻を留めることができず、山に隠れてしまったので、心の置き所がない。
〈472〉世の中はいつもこのようにはかないものだと分かっているものの、この辛い気持は抑えようもない。
〈473〉佐保山にたなびく霞を見るたびに、妻を思い出し、泣かない日はない。
〈474〉これまでは関係のない所として見ていたが、わが妻の墓であると思うと、愛しくてならない佐保山だ。
鑑賞 >>>
大伴家持の歌。462以下の亡き妾を悲しんで作った歌に続き、「悲緒(かなしび)未だ息(や)まず、更に作れる歌」とある5首。470の「かくのみにありけるものを」は、このようにばかり常のない世であるのに。471の「山隠り」は、山に葬られる意。「つれ」は、後世の「つれば」にあたる古格。「心ど」は、心の落ち着きどころ。472の「世間し」の「し」は、強意。「かつ」は、片方では。「忍びかねつも」の「も」は、詠嘆。473の「佐保山」は、平城京の北東にある丘陵。次の歌で、亡き妻の墓のある山だと分かります。474の「外に」は、関係ないものとして。「見しか」は、見ていたが。「奥城」は、墓。「はしき」は、愛すべき。
ここで13首にわたる亡妾歌が完結します。先人の名歌の辞句や技法を積極的に取り入れ、模倣性が強く指摘されるところですが、そもそもが挽歌のもつ常套句表現であるとも言えます。ところで、これほどまでにその死を嘆いているにも関わらず、家持はなぜ「妾」とだけ記し、その名を記さなかったのでしょうか。妾が、家持の内舎人時代に交際した若い女官たちの一人であり、郎女や女王のような高い身分の出身でなかったために、あえて名を記す必要がないと考えたのか、それとも、後に正妻となる坂上大嬢への配慮があったのか。なお、家持とこの女性との相聞は、巻第4に散在する娘子に贈る歌(691~692ほか)の中に混じっている可能性が指摘され、また、後に藤原仲麻呂の二男久須麻呂と家持の幼い娘との婚姻に関わる歌(巻第4-789~792)があり、この幼い娘とは、妾が生んだ子であろうと考えられています。
「妹」と「児」の違い
「妹」は、男性が自分の妻や恋人を親しみの情を込めて呼ぶ時の語であり、古典体系には「イモと呼ぶのは、多く相手の女と結婚している場合であり、あるいはまた、結婚の意志がある場合である。それほど深い関係になっていない場合はコと呼ぶのが普通である」とあります。しかし、「妹」と「児」とを、このように画然と区別できるかどうかは、歌によっては疑問を感じるものもあります。ただ、大半で「妹」が「児」よりも深い関係にある女性を言っているのは確かでしょう。
また、例外的に自分の姉妹としての妹を指す場合もあり(巻第8-1662)、女同士が互いに相手を言うのに用いている場合もあります(巻第4-782)。