訓読 >>>
3799
あにもあらじおのが身のから人の子の言(こと)も尽(つく)さじ我(わ)れも寄りなむ
3800
はだすすき穂(ほ)にはな出(い)でそ思ひたる心は知らゆ我(わ)れも寄りなむ
3801
住吉(すみのえ)の岸野(きしの)の榛(はり)ににほふれどにほはぬ我(わ)れやにほひて居(を)らむ
3802
春の野の下草(したくさ)靡(なび)き我(わ)れも寄りにほひ寄りなむ友のまにまに
要旨 >>>
〈3799〉何ということもない私の身で、一人前の口をたたくなんていたしません、私もお爺さんに従いましょう。
〈3800〉はだ薄の穂のように表面に出したりなさいますな。お爺さんを思っている皆さんの心はお見通し。私もお爺さんに従いましょう。
〈3801〉あの住吉の岸野の榛で染めようとしても、いっこうに染まらない意地っ張りの私だけど、今回は皆さんと同じ色に染まっていましょう。
〈3802〉春の野の下草が靡くように、私も靡いて、同じ色に染められ身をまかせましょう、皆さんに従って。
鑑賞 >>>
3794~3798に続き、老翁の歌(3791~3793)を聞いた乙女らが、自らの行為を反省して詠んだ歌9首のうちの4首。3799の「あにもあらじ」の「あに」は「何」と同じ意の古語で、何ということもない。「おのが身のから」の「から」は、原因・理由を示す、ゆえ、ための意。「言も尽さじ」は、言葉を尽くして物を言わない。3800の「はだすすき」は「穂」の枕詞。「穂に出づ」は、表面に出る。「な出そ」の「な~そ」は、禁止。「知らゆ」の「ゆ」は、受身。3801の「住吉」は、大阪市住吉区。「榛」はハンノキ。「にほふ」は、美しく染まる。3802の「下草」は、木陰に生える草。「まにまに」は、思うままに、に従って。
ありていに言えば、みなが「ごめんなさーい」と、可愛らしく謝っているものですが、言語学者の松岡静雄は、これら乙女らの歌について、「一首も出たらめではなく、想を凝らし詞を練ったもので、前の長歌反歌をあわせ、オペラにでも仕組んだら、面白い美しい舞台面が見られると思う」と述べています。
竹取の翁が長歌(3791)の最後に引用した、老子伝『原穀説話』は、広く知られていたもので、反歌の内容をも併せ鑑みると、その意図が、青春の美しさはほんの一時のかりそめの姿に過ぎず、人は誰でも年を取って老いるのだから、老人の醜さを嘲ってはならないということにあるのは、疑いの余地がないところです。そしてそれは多分に中国の影響によるもので、初唐の詩人・劉庭芝の『代悲白頭翁』にある「歳歳年年人不同、寄言全盛紅顔子、應憐半死白頭翁、此翁白頭眞可憐、伊昔紅顔美少年」(歳歳年年人同じからず、言を寄す全盛の紅顔子、まさに半死の白頭翁を憐れむべし、此の翁の白頭真に憐れむべきも、伊昔は紅顔の美少年)と同様の主旨である点が指摘されています。とはいえ、翁の歌は、そのような若者の驕りに対する戒めや、誰もが老いを免れないという真面目な人生訓を厳格に説いたものでは決してなく、乙女たちとの歌のやり取りによって、この厳かなテーマを諧謔的、遊戯的なひとつの物語に組み立てたものであるとされます。そしてそのような構成自体も、やはり中国文学からの影響であると考えられています。そうしたことから、そこに男女の性的関係の暗示を見るという捉え方もあるようです。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について