大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

梅花の歌(6)・・・巻第5-816~817

訓読 >>>

816
梅の花今咲けるごと散り過ぎず我(わ)が家(へ)の園にありこせぬかも

817
梅の花咲きたる園の青柳(あをやぎ)は縵(かづら)にすべくなりにけらずや

 

要旨 >>>

〈816〉梅の花よ、今咲いているように、散り過ぎることなく我らの庭に咲き続けておくれ。

〈817〉梅の花が咲き匂うこの庭園の青柳も芽吹いて、これも縵にできるほどになったではないか。

 

鑑賞 >>>

 天平2年正月13日、大伴旅人の邸宅で催された梅花の宴で、賓客の中で最高位の太宰大弐・紀男人(きのおひと)の歌(815)に続いての歌。作者は、816が、小弐の小野老(おののおゆ)、817が、同じく小弐の粟田人上(あわたのひとかみ)。小弐は、大弐の補佐官で、従五位下相当の官。816の「今咲けるごと」は、今咲いているように。「ありこせぬかも」の「こせ」は希求の助動詞、「ぬかも」は打消しの反語で、希望を表します。あってくれないのかなあ。817の「縵」は、主に蔓性植物で作られた冠や飾り。「なりにけらずや」の「けら」は「けり」の未然形、「や」は反語。なって来たではないか。

 「梅花の歌」全32首のうち、前半の15首(815~829)が上席、後半の17首(830~846)が下席の歌となっています。文芸に秀でた役人ばかりを集めたのか、それとも当時の役人はみな相当程度の文学素養を備えていたのでしょうか。宴会では、上席が主人の旅人を別の座に7人ずつが向かい合い、下席は幹事の者を別の座に8人ずつが向かい合っていたといいます。

 

 

 

万葉時代の年号

・大化 645~650年
・白雉 650~654年
 朱鳥まで年号なし
・朱鳥 686年
 大宝まで年号なし
・大宝 701~704年
慶雲 704~708年
和銅 708~715年
霊亀 715~717年
・養老 717~724年
神亀 724~729年
天平 729~749年
天平感宝 749年
天平勝宝 749~757年
天平宝字 757~765年

『万葉集』掲載歌の索引

各巻の概要