大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

渋谿の崎の荒礒に寄する波・・・巻第17-3985~3987

訓読 >>>

3985
射水川(いみづがは) い行き廻(めぐ)れる 玉櫛笥(たまくしげ) 二上山(ふたがみやま)は 春花(はるはな)の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振り放(さ)け見れば 神(かむ)からや そこば貴(たふと)き 山からや 見が欲(ほ)しからむ 統(す)め神(かみ)の 裾廻(すそみ)の山の 渋谿(しぶたに)の 崎の荒礒(ありそ)に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 満ち来る潮(しほ)の いや増しに 絶ゆることなく いにしへゆ 今のをつつに かくしこそ 見る人ごとに 懸(か)けて偲(しの)はめ

3986
渋谿(しぶたに)の崎の荒礒(ありそ)に寄する波いやしくしくに古(いにしへ)思ほゆ
3987
玉櫛笥(たまくしげ)二上山(ふたがみやま)に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり

 

要旨 >>>

〈3985〉射水川が流れめぐる二上山は、春の花の盛りにも、秋の葉が色づく時にも、家を出て山を振り仰いでみると、神の風格に満ちて尊く、山の立派な品格のゆえに見入らずにいられない。神が治めていらしゃる二子山の麓から突き出た渋谿の崎、その荒磯に朝なぎの時に寄せる白波、夕なぎの時に満ちてくる潮がずっと絶えることがないように、古の時代から今の世に至るまで、こんなにも、見る人誰もが心に懸けてこの山を称えることだろう。

〈3986〉渋谿の崎の荒磯に寄せる波のように、しきりに次々と昔のことが思われる。

〈3987〉二上山に鳴く鳥の声が恋しくてたまらない、そんな季節が今ここにやってきた。

 

鑑賞 >>>

 天平19年(747年)春3月30日に、大伴家持が作った「二上山の賦一首(この山は射水郡にある)」とその反歌。左注には「興に依りて之を作る」とあり、越中国庁から見た二上山を讃えた歌です。「二上山」は、富山県高岡市の北方にある山。「射水郡」は、高岡市氷見市とその周辺。「射水川」は、現在の小矢部川。「玉櫛笥」は「二上山」の枕詞。「にほへる」は、色美しくなっている。「そこば」は、甚だ。「渋谿」は、高岡市渋谷。二上山の山系が張り出したところで、海岸には奇岩が多く点在する景勝地です。3986の「しくしくに」は、しきりに、の意。

 家持は、この年の3月末から4月にかけて、越中の風土を題材とした長歌を立て続けに3首作っています。「越中三賦」と呼ばれる作がそれで、「賦」とは、詩文の文体の一つで、事物の形姿を述べ連ねる形式のことです。「越中三賦」は、正税帳使として上京する機会を得た家持が、都の人々に越中の風土のさまを紹介する目的で作ったとされ、ここの歌もその中の1首です。

 家持が越中守として赴任したのは29歳のときで、この年はその翌年にあたります。はじめての地方官の経験で、都を出て異郷のさまざまな風物に接した彼は、大いに詩魂をゆさぶられたようで、生涯で最も多くの歌を詠んだのはこの時期です。なお、この赴任は決して左遷ではなく、格別に不遇をかこったわけでもありません。名門貴族の子弟でも、一度か二度かは地方官に任命されましたし、越中国は古代の諸地方のうちでも上位に位置づけられていた地です。この年齢では、むしろ早い出世だったとされ、橘諸兄の後押しがあったのではと考えられています。

 

 

 

越中時代の大伴家持

天平18年(746年)
7月 国守として越中に赴任
8月 国守の館で歓迎の宴
9月 弟・書持の訃報に接し哀傷歌を作る
12月 この頃から病に臥す

天平19年(747年)
2月 越中掾の大伴池主と歌の贈答
3月 月半ばまでに回復か
3月 妻への恋情歌を作る
4月 3~4月にかけて「越中三賦」を作る
5月  このころ税帳使として入京
5月以降、池主が越前国の掾に転任
8月 このころ越中に戻る
8月 このころ飼っていた自慢の鷹が逃げる

天平20年(748年)
2月 翌月にかけて出挙のため越中国内を巡行
3月 橘諸兄の使者として田辺福麻呂が来訪
4月? 入京する僧・清見を送別する宴
10月 このころ掾の久米広縄が朝集使として入京

天平勝宝1年(749年)
3月 越前の池主と書簡を贈答
4月 従五位上に昇叙される
5月 東大寺占墾地使の僧・平栄が来訪
5月 「陸奥国より黄金出せる詔書を賀す歌」を作る
6月 干ばつが続き、雨を祈る歌と、雨が降って喜ぶ歌を作る
7月 このころ大帳使として入京
冬に越中に戻るが、この時、妻の大嬢を越中に伴ったとみられる
11月 越前の池主と書簡を贈答

天平勝宝2年(750年)
1月 国庁で諸郡司らを饗応する宴
3月 「春苑桃李の歌」を作る
3月 出挙のため古江村に出張
3月 妻の大嬢が母の坂上郎女に贈る歌を代作
4月 布勢の湖を遊覧
6月 京の坂上郎女が越中の大嬢に歌を贈る
10月 河辺東人が来訪
12月「雪日作歌」を作る

天平勝宝3年(751年)
2月 正税帳使として入京する掾の久米広縄を送別する宴
7月 少納言に任じられる
8月 帰京のため越中を離れる。途中、越前の池主宅に寄り、京から帰還途上の広縄に会う

『万葉集』掲載歌の索引

大伴家持の歌(索引)