大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

我がやどに蒔きしなでしこいつしかも・・・巻第8-1448

訓読 >>>

我がやどに蒔きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む

 

要旨 >>>

私の家の庭に蒔いたナデシコの花は、いつになったら咲くのだろうか。その花をあなただと思って眺めます。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持が、坂上家にいる大嬢に贈った歌。「やど」は、家の敷地、庭先。「なでしこ」は、山野に自生する多年草大和撫子のこと。「いつしかも」の「し」は強意で、「か」は疑問。いつになったら、早く。「なそへ」は、大嬢になぞらえる意。この歌は「春の相聞」の冒頭に位置しており、ナデシコの秋の開花を待つ、すなわち大嬢の女性としての成長を待つ歌となっています。時は天平5年(733年)春、本歌は家持初期の15歳ころの作であり、家持は早く大嬢と結婚したかったと見えます。

 秋の七草のうち、鮮やかな色彩の可憐な花といえば、ナデシコを置いてほかにありません。その名が「撫でし子」の意を思い起こさせる花でもあるナデシコを、家持はこよなく愛し、初恋の相手、坂上大嬢をナデシコに擬しています。また、家持がその後結婚した妾を失った時の亡妾挽歌にも、「秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも」(巻第3-464)とあり、その亡妾もまたナデシコの花を愛していたらしく思われ、この亡妾のことばは、家持の脳裏に忘れ難いことばとして刻み込まれたのではないでしょうか。やがて年月の経過とともに、大嬢との関係を再開した家持は、再び大嬢をナデシコに見立てて歌を詠んでいます。「なでしこがその花にもが朝なさな手に取りもちて恋ひぬ日無けむ」(巻第3-408)。

 

 

大伴家持の略年譜

718年 家持生まれる(在京)
724年 聖武天皇即位
728年 父の旅人が 大宰帥
731年 父の旅人が死去(14歳)
738年 内舎人となる(21歳)
    橘諸兄との出会い
739年 妾と死別(22歳)
    坂上大嬢との出会い
741年 恭仁京の日々(24歳)
744年 安積親王が死去
745年 従五位下に叙せられる(28歳)
746年 越中守となる(29歳)
749年 従五位上に昇叙(32歳)
751年 少納言となる(34歳)
754年 兵部少輔を拝命(37歳)
755年 難波で防人を検校、防人歌を収集(38歳)
756年 聖武太上天皇崩御
757年 橘諸兄が死去
    兵部大輔に昇進(40歳)
    橘奈良麻呂の乱
758年 因幡守となる(41歳)
    淳仁天皇即位
759年 万葉集巻末の歌を詠む(42歳)
764年 薩摩守となる(48歳)
    恵美押勝の乱
766年 称徳天皇重祚
    道鏡が法王となる
767年 大宰少弐となる(50歳)
770年 道鏡下野国に配流
    正五位下に昇叙(53歳)
771年 光仁天皇即位
    従四位下に昇叙(54歳)
774年 相模守となる(57歳)
776年 伊勢守となる(59歳)
777年 従四位上に昇叙(60歳)
778年 正四位下に昇叙(61歳)
780年 参議となり、右大弁を兼ねる(63歳)
781年 桓武天皇即位
    正四位上に昇叙(64歳)
    従三位に叙せられ公卿に列する
783年 中納言となる(66歳)
784年 持節征東将軍となる(67歳)
    長岡京遷都
785年 死去(68歳)

『万葉集』掲載歌の索引

大伴家持の歌(索引)