訓読 >>>
2608
妹(いも)が袖(そで)別れし日より白たへの衣(ころも)片敷(かたし)き恋ひつつぞ寝(ぬ)る
2609
白栲(しろたへ)の袖(そで)はまゆひぬ我妹子(わぎもこ)が家のあたりをやまず振りしに
2610
ぬばたまの吾(わ)が黒髪(くろかみ)を引きぬらし乱れてさらに恋ひわたるかも
要旨 >>>
〈2608〉この袖と交わしたあの子の袖、別れたその日から、ずっと自分の衣だけを敷いて、恋しく思いながら一人寂しく寝ている。
〈2609〉わが袖はすっかりほつれてしまった。彼女の家のあたりに向かっては、止むことなく振り続けてきたので。
〈2610〉黒髪を引きほどいて、身も心も取り乱し、さらにいっそうあなたを恋い焦がれてやまない私です。
鑑賞 >>>
「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」3首。2608の「衣片敷き」は、独り寝をいう慣用句。 本来は二人で互いのものを重ねて共寝する衣を、自分の衣だけ敷いて寝ること。「恋ひつつぞ寝る」の「ぞ」は係助詞で、「寝る」は結びの連体形。旅の途中の男が、女に贈った歌のようです。
2609の「白栲の」は「袖」の枕詞。「まゆひぬ」は、ほつれる、織り糸が片寄る。「家のあたりを」は、家のあたりに向って。旅先にある男の歌でしょうか、わざとらしさが目立ち過ぎるとの評もありますが、妹との名残を甚だしく惜しんだ心を伝えています。「白栲の袖」を、我妹子の手作りとする説もあります。
2610は、女の歌。「ぬばたまの」は「黒髪」の枕詞。「引きぬらし」の「引き」は接頭語、「ぬらし」は、ほどいて。この時代、相手が思えば自分の髪が自然に解けるという俗信がありました。そこで、それを逆手にとり、自分で髪をほどくことによって相手の思いを呼ぼうとしています。上3句を「乱れて」を導く譬喩式序詞とする見方もあります。「乱れてさらに」の原文「乱而反」で、ミダレテナホモと訓むものもあります。
⇒ 各巻の概要