大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

外に居て恋ふれば苦し我妹子を・・・巻第4-756~759

訓読 >>>

756
外(よそ)に居(ゐ)て恋ふれば苦し我妹子(わぎもこ)を継ぎて相(あひ)見む事計(ことはか)りせよ

757
遠くあらばわびてもあらむを里近くありと聞きつつ見ぬがすべなさ

758
白雲(しらくも)のたなびく山の高々(たかだか)に我(あ)が思ふ妹(いも)を見むよしもがも

759
いかならむ時にか妹(いも)を葎生(むぐらふ)の汚(きた)なき屋戸(やど)に入(い)りいませてむ

 

要旨 >>>

〈756〉離れて住んでいて恋い慕っているのは苦しい。あなたと絶えず逢うことができるように工夫してください。

〈757〉遠く離れて住んでいるのなら、あきらめてわびしく過ごせもしましょうが、この里の近くと聞いているのに、逢えないでいるやるせなさです。

〈758〉白雲がたなびく山ほどに、高く爪先立つ思いで焦がれるあなたに逢えるすべはないものか。

〈759〉いつになったら、あなたを、むぐらの茂る、このむさ苦しい家にお迎えすることができましょうか。

 

鑑賞 >>>

 大伴田村大嬢(おおとものたむらのおおいらつめ)が、別の邸に住んでいる異母妹の坂上大嬢に贈った歌。ともに大伴宿奈麻呂の娘で、田村大嬢は父と共に田村の里に、坂上大嬢は母の坂上郎女と共に坂上の里に住んでいたので、こう呼ばれました。田村の里は、奈良市法華寺町付近、または天理市田町ともいわれます。姉妹でありながら逢う機会のないことを嘆き、田村の家に来てほしいと言っていますが、坂上大嬢から田村大嬢への歌は残っていません。

 756の「外に居て」は、離れた所にいて。作者の住む田村の里のことで、妹の居所の坂上の里を中心にした言い方をしています。「継ぎて相見む」の「継ぎて」は、続けて、絶えず。間をおいて頻繁に逢うのではなく、しばらくなりとも同居しいつも逢えることを願って言っています。「事計りせよ」は、計画を立てよ。757の「わびてもあらむを」は、諦めてわびしく過ごせもしましょうが。「里近くあり」は、坂上大嬢がこの田村の里近くに住んでいること。「すべなさ」は、やるせなさ。758の上2句は「高々に」を導く譬喩式序詞。「高々に」は、爪先立って待ち望むさま。「もがも」は、願望。759の「葎生」は、むぐら(つる草)の生えている所。「葎生の汚なき屋戸」は、作者の自家の謙遜。「入りいませてむ」は、お迎えすることができましょうか。

 異母姉妹は離れて暮らす場合が多いので疎遠になるものですが、田村大嬢と坂上大嬢は、たいそう仲がよかったようです。作家の田辺聖子は、「仲よしの情を歌で表現すると、さながら恋歌のような体裁をとる。田村も坂上も、大伴一族の女性らしく歌才があった。才たけて美しい少女同士、互いにあこがれを抱き合っていたのかもしれない。のちに坂上大嬢は、家持の正妻となるが、まだ 本物の恋にめぐりあっていないころ、姉妹は仲のいい相手に疑似恋愛をしていたのかもしれない」と述べています。田村大嬢の歌は『万葉集』に9首あり、そのすべてが坂上大嬢に贈った歌です。どの歌も、異母妹に対する愛情の深さが滲み出ています。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引