訓読 >>>
1624
我(わ)が蒔(ま)ける早稲田(わさだ)の穂立(ほたち)作りたる蘰(かづら)ぞ見つつ偲(しの)はせ我(わ)が背(せ)
1625
我妹子(わぎもこ)が業(なり)と作れる秋の田の早稲穂(わさほ)のかづら見れど飽(あ)かぬかも
1626
秋風の寒きこのころ下(した)に着む妹(いも)が形見(かたみ)とかつも偲(しの)はむ
要旨 >>>
〈1624〉私が蒔いて育てた早稲田の稲穂でこしらえた蘰(かづら)をご覧になりながら、私のことをしのんで下さいね、あなた。
〈1625〉愛しいあなたが仕事で取り入れた秋の田の稲穂でこしらえた蘰は、いくら見ても見飽きることがありません。
〈1626〉秋風の寒さが身にしみるこのごろ、下に着て体をあたためましょう。そして、あなただと思うよすがにしましょう。
鑑賞 >>>
天平11年(739年)秋9月の大伴家持と坂上大嬢の贈答。1624は、坂上大嬢が稲で作った蘰(かずら)を家持に贈った時の歌。1625は、家持が答えた歌。1626は、大嬢が身に着けた衣を脱いで贈ってくれたのに家持が答えた歌。この時、家持は、坂上郎女のいる竹田の庄に招かれ、そこに一緒にいた坂上大嬢との歌の贈答が始まります。家持22歳、大嬢は10代後半の秋です。家持が「亡妾」への哀しみの歌(巻第3-462ほか)を詠んだのが、天平11年6月でしたから、それから3か月後に、生涯にわたり深い縁を結ぶこととなる女性と再会したのでした。
1624の「早稲田」は、早稲を植えた田。「穂立」は、稲穂の出揃うさま。「蘰」は、草木の枝・花などを巻きつけて髪飾りにしたもの。「穂立」は、立ち揃った稲穂。「偲はせ」は「偲へ」の敬語で命令形。1625の「業」は、生業。「見れど飽かぬかも」は、最大の誉め言葉の成句。1626の「下に着む」は、下着として着ること。「形見」は、相手を偲ぶよすがとなる品のこと。「かつも」の「かつ」は、一方で。「も」は、強意。恋人同士や夫婦が下着を交換するのは、愛情を表現する当時の習俗だったとされます。この歌からは、大嬢と家持との間にはすでに肉体関係があったものと見えます。