大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

梓弓春山近く家居れば・・・巻第10-1829~1831

訓読 >>>

1829
梓弓(あづさゆみ)春山(はるやま)近く家(いへ)居(を)れば継(つ)ぎて聞くらむ鴬(うぐひす)の声

1830
うち靡(なび)く春さり来れば小竹(しの)の末(うれ)に尾羽(をは)打ち触れて鶯(うぐひす)鳴くも

1831
朝霧(あさぎり)にしののに濡(ぬ)れて呼子鳥(よぶこどり)三船(みふね)の山ゆ鳴き渡る見ゆ

 

要旨 >>>

〈1829〉春になると、山近くに住んでいらっしゃるあなたは、ひっきりなしにお聞きなのでしょうね、鶯の声を。

〈1830〉春がやってくると、小竹の先に尾や羽を触れながら、鶯が鳴きだすよ。

〈1831〉朝霧にしっぽりと濡れて、呼子鳥が、三船の山を鳴き渡っているのが見える。

 

鑑賞 >>>

 「鳥を詠む」歌。1829は、京に住んでいる人が春山の近くに住んでいる人に贈った歌。「梓弓」は、弓を張る意で「春山」に掛かる枕詞。「家居れば」は、住んでいて。「継ぎて」は、継続して。1830の「うちなびく」は「春」の枕詞。「小竹」は、群生する小さい竹。「尾羽」は、尾と翼、または尾の羽。

 1831の「しののに」は、しっとりと、しっぽりと。「呼子鳥」は、今のカッコウとする説が有力。あちらこちらに場所を変えながら鳴くカッコウの声は人を探して呼んでいるように聞こえるので相応しいと言えますが、ここの歌のように、春の歌、それも鶯の歌などにまじっているのは季節に合いません。「三船の山」は、吉野の宮滝の東南、象山(さきやま)の東にある標高487mの山。「山ゆ」の「ゆ」は、起点・経過点を示す格助詞。~を通って。「見ゆ」は、見える。「見ゆ」の表現は、動詞・助動詞の終止形に接するのが通則で、この用法は古今集以後にはありません。古代の「見ゆ」は、上の文を完全に終結させた後にそれを受けており、存在を視覚によっては把捉した古代的思考、存在を見える姿において描写的に把捉しようとする古代の心性があった、と説かれます。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

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