大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(47)・・・巻第20-4371

訓読 >>>

橘(たちばな)の下(した)吹く風の香(か)ぐはしき筑波(つくは)の山を恋ひずあらめかも

 

要旨 >>>

橘の実のなっている木陰を吹く風のように、なつかしい筑波の山を、どうして恋い焦がれずにいられようか。

 

鑑賞 >>>

 常陸国の防人の歌。作者は、助丁の占部広方(うらべのひろかた)。「橘」は、ミカン科の常緑樹で、常世の国の木と伝えられる聖木。初夏に芳香のある白色の花が咲きます。時は1月であるので、ここは熟した実を指したもの。常陸風土記には、行方(なめかた)郡(霞ヶ浦と北浦との間)および香島郡(北浦と鹿島灘との間)には橘の木が生い茂っていることが記されており、また行方郡の新治の洲から筑波山が望見できるとも書かれています。「下吹く風の」の「の」は、~のように。「香ぐはしき」は、香りが霊妙な。「恋ひずあらめかも」の「かも」は反語で、恋い焦がれずにいられようか。

 

 

「橘」の起源伝説

 橘は、『日本書紀』によれば、垂仁天皇の代に、非時香菓(ときじくのかくのみ)、すなわち、時を定めずいつも黄金に輝く木の実を求めよとの命を受けた田道間守(たじまもり)が、常世(仙境)に赴き、10年を経て、労苦の末に持ち帰ったと伝えられる植物です。しかしその時、垂仁天皇はすでに崩御しており、それを聞いた田道間守は、嘆き悲しんで天皇の陵で自殺しました。次代の景行天皇が田道間守の忠を哀しみ、垂仁天皇陵近くに葬ったとされています。田道間守は、日本に帰化した新羅の王子、天日槍(あまのひほこ)の子孫で、『日本書紀』では4代目の孫となっています。

『万葉集』掲載歌の索引