大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

宴席の歌(11)・・・巻第20-4452~4453

訓読 >>>

4452
娘子(をとめ)らが玉裳(たまも)裾引(すそび)くこの庭に秋風吹きて花は散りつつ

4453
秋風の吹き扱(こ)き敷(し)ける花の庭清き月夜(つくよ)に見れど飽かぬかも

 

要旨 >>>

〈4452〉乙女たちが裳裾を引いて優雅に行き来するこの庭に、秋風が吹いて萩の花がしきりに散っている。

〈4453〉秋風が吹きしごいて萩の花が一面に散り敷いた庭は、清らかな月に照らされて、見ても見飽きることがない。

 

鑑賞 >>>

 天平勝宝7年(755年)8月13日、内裏の南安殿(みなみのやすみどの)で酒宴が催された時の歌2首。4452は、内匠頭(たくみのかみ:内匠寮の長官)兼播磨守(はりまのかみ)の安宿王(あすかべのおおきみ)が奏上した歌。安宿王は、長屋王の子で、母は藤原不比等の娘。聖武天皇のまたいとこ、光明皇后の甥という血縁にあり、その関係で、父の長屋王が自尽した時も死を免れました。『万葉集』には2首。4453は、兵部少輔従五位上大伴家持の歌(ただし奏上しなかった)。

 4452の「娘子ら」は、宮廷に奉仕する女官たち。「玉藻」の「玉」は美称で、女性が腰から下に着る衣。「花」は、秋との関係で、萩の花。「つつ」は、動作の継続を示す接続助詞。この結句は、他に巻第10-1950にあるのみです。窪田空穂はこの歌を、「禁苑を歩いている女官らの美しさと、さわやかな秋風に萩の花の散りつづけている清らかなさまの一つになっている趣をたたえて、天皇に対する賀の歌としたのである。臨時の肆宴であるから、賀の心も、おおらかにそれとない程度にとどめたのであろう。自然な、美しい歌である」と評しています。4453の「秋風の吹き扱き敷ける」は、秋風が吹いて、枝から花を扱き落として敷いている。「月夜」は、月、月の光。

 なお、この前後における家持は、宴に行き合わせなかったり、宴で披露するつもりの予作歌を公開する機会がないまま持ち帰ったりするなど、歌の上での苦渋を味わうことが多くなっています。家持が歌を作りながら未奏に終わるのは、巻第19-4272以後4回に及んでおり、この時期の彼の無力感・屈辱感はかなり深刻ではなかったかと見られています。

 

 

※ここで「宴席の歌」との表題・区分を設けていますが、実は『万葉集』の歌の多くは宴席で詠まれたものと考えられています。

 

『万葉集』掲載歌の索引

大伴家持の歌(索引)