大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(73)・・・巻第14-3363

訓読 >>>

わが背子(せこ)を大和(やまと)へ遣(や)りてまつしだす足柄山(あしがらやま)の杉の木(こ)の間(ま)か

 

要旨 >>>

愛する人を大和の国へ行かせてしまい、その無事の帰りを私が立って待っている足柄山の杉木立よ。

 

鑑賞 >>>

 相模の国(神奈川県)の歌。「遣りて」は、行かせて。大和に出向いたのは、調・庸の運搬、または成人男子に課される衛士や仕丁などの力役負担のための出張だったと見られます。「まつしだす」は難解で、上掲の解釈のほか、旅立った夫の無事を祈るための、松を立てるという呪法とする説もあります(「し」は強意、「だす」は「立つ」の東語と見る)。「足柄山」は、具体的な一つの山の名前ではなく、神奈川県と静岡県の県境にある足柄峠を中心に、古くは金時山(標高1213m)を含めた連山の総称。

 

 

律令時代の税負担

 律令時代に、国家によって人民が課された諸種の負担は、租・庸・調・雑徭の四つが本とされました。口分田に賦課される「租」に対して、課役と称される調・庸と雑徭は、いずれも成人男子に賦課された人身的負担であり、特に雑徭は、労働力を直接収奪する力役負担でした。力役負担としてはさらに仕丁役・兵役(兵士・衛士・防人)が加わり、それらはすべて反対給付を全く伴わない無償の強制労働でしたから、労働を主体とする農民生活にとっては最も重い負担となりました。東国農民が大和へ旅立つのは、衛士や仕丁あるいは調・庸の運搬のための脚夫のいずれかでありました。

『万葉集』掲載歌の索引

「東歌」について