訓読 >>>
3546
青柳(あをやぎ)の張らろ川門(かはと)に汝(な)を待つと清水(せみど)は汲(く)まず立ち処(ど)平(なら)すも
3547
あぢの住む須沙(すさ)の入江の隠(こも)り沼(ぬ)のあな息(いき)づかし見ず久(ひさ)にして
3548
鳴る瀬ろに木屑(こつ)の寄(よ)すなすいとのきて愛(かな)しけ背(せ)ろに人さへ寄すも
要旨 >>>
〈3546〉青柳は芽を吹く川の渡しであなたを待って、清水を汲まずに行ったり来たりしているので、地面が平らになっています。
〈3547〉アジガモの棲む須沙の入江の、水の淀んだ沼のように、うっとうしくて息が詰まりそうだ。長く逢っていないから。
〈3548〉鳴り響く川瀬に木屑が寄せられるように、とても愛しいあの人に、他の女までがあの人に心を寄せてくることだ。
鑑賞 >>>
3546の「青柳」は、春に若芽をふいた柳。「張らろ」は「張れる」の東語で、枝や芽を出すこと。「川門」は、川幅の狭くなっているところ。渡り場。「汝を待つと」は、あなたを待って。「汝」はふつう、男が女を呼ぶ場合に用いられますが、ここでは女が男を親しんで呼んでいます。「清水(せみど)」は「しみづ」の東語。「立ち処平す」は、行きつ戻りつしているうち、足元の土が踏まれて平らになっていくこと。「も」は、詠嘆の終助詞。当時、水汲みは若い女の仕事であり、外出できる唯一の機会でした。清水を汲んでくるのにかこつけて、男と逢う約束の川門で今か今かと待っている歌です。そのように、川門は若い男女のデートの場所でもあったのでしょう。
3547の「あぢ」は、アジガモ。トモエガモの別名で、今も全国で普通に見られる鴨です。「須沙の入江」の所在は未詳ながら、愛知県の須佐湾かともいわれます。「隠り沼」は、水の出口のない沼。上3句は「あな息づかし」を導く序詞。「あな息づかし」の「あな」は、感動詞。「息づかし」は、息が詰まりそうなさま。「見ず久にして」は、長く逢っていないので。男が女を思った歌か、あるいは久しく来ない男を待っている女の歌なのか、はっきりしません。
3548の「鳴る瀬ろに」は、鳴り響く川瀬に。「ろ」は、東国特有の接尾語。「木屑(こつ)」は、木屑、木っ端。「いとのきて」は、とりわけ、甚だ。「愛しけ」は「愛しき」の訛り。「背ろ」の「ろ」は接尾語で、夫や恋人を親しんで呼ぶ語。「人さへ寄すも」は、他の女までも心を寄せている。上2句が下3句の譬喩になっており、モテてしょうがない夫に気を揉んでいる女の歌です。窪田空穂は、「恋の上では起こりうる心であるが、しかし歌としては例の多くないもので、またこのように率直に、素朴に詠んだものはない」と言っています。
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