訓読 >>>
4080
常人(つねひと)の恋ふといふよりはあまりにて我(わ)れは死ぬべくなりにたらずや
4081
片思ひを馬にふつまに負(お)ほせ持て越辺(こしへ)に遣(や)らば人かたはむかも
4082
天離(あまざか)る鄙(ひな)の奴(やつこ)に天人(あめひと)しかく恋すらば生ける験(しるし)あり
4083
常(つね)の恋いまだやまぬに都より馬に恋(こひ)来(こ)ば担(にな)ひ堪(あ)へむかも
4084
暁(あかとき)に名告(なの)り鳴くなる霍公鳥(ほととぎす)いやめづらしく思ほゆるかも
要旨 >>>
〈4080〉世の一般の人がいう恋を通り越して、私は死ぬ思いでいるではありませんか。
〈4081〉私の片思いを、すっかり馬に背負わせて越の国へ遣わせば、誰かが手助けしてくれるでしょうか。
〈4082〉都から遠く離れた片田舎の私ごときに、天の人がこんなに恋して下さるなんて、生きている甲斐があるというものです。
〈4083〉世の常の人たちがする恋さえ未だやまないのに、都から馬でどっさり恋の荷物がやって来たら、私なんかに荷いきれるでしょうか。
〈4084〉暁に、自分の名を告げながら鳴くホトトギスの声を聞くように、いよいよ懐かしく思われてなりません。
鑑賞 >>>
4080・4081は、天平20年(748年)3月、京にいる大伴坂上郎女が、越中に国守として赴任している甥の家持に贈った歌。4082~4084は、家持が答えた歌。4080の「常人」は、世間一般の人。「あまりにて」は、度が過ぎて、通り越して。「なりにたらずや」は、なったではありませんか。4081の「ふつまに」は、すべて、悉く。「負はせ持て」は、背負わせて。「人かたはむかも」の「かたふ」の語義未詳で、上掲の解釈のほか、心を寄せて親しむ、欺き奪う、などと解するものがあります。
4082の「天離る」は「鄙」の枕詞。「鄙」は、都から遠い地方、田舎。「奴」は、ここでは自分を卑下して言った語。「天人」は、天上界の人。ここでは郎女のことで、4080の「常人」を承けて戯れに言っています。4083の「常の恋」は、常日頃、郎女を恋しく思っていること。「馬に恋来ば」は、馬で恋を運んで来たならば。「担ひ堪へむかも」は、荷いきれるでしょうか。なお、郎女の娘で家持の妻の大嬢は、家持の越中赴任中に同地へ下ったことは確かなようですが、少なくともこの時点では、大嬢はまだ着いていません。