大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

こと放けば沖ゆ放けなむ・・・巻第7-1400~1402

訓読 >>>

1400
島伝(しまづた)ふ足早(あばや)の小舟(をぶね)風守り年はや経(へ)なむ逢(あ)ふとはなしに

1401
水霧(みなぎ)らふ沖つ小島(こしま)に風をいたみ舟寄せかねつ心は思へど

1402
こと放(さ)けば沖ゆ放(さ)けなむ港(みなと)より辺著(へつ)かふ時に放(さ)くべきものか

 

要旨 >>>

〈1400〉島伝いに行く舟足の速い小舟、そんな舟であるのに、風向きをうかがっているうちに年をとってしまうのか、巡り逢うこともなく。

〈1401〉水煙でかすんでいる彼方の小島には、風があまりに激しいので近寄ろうにも近寄りかねている。心では思っているのだが。

〈1402〉同じ遠ざけるなら沖にいる時にしてほしかった。岸辺に着く頃になって遠ざけてよいものか。

 

鑑賞 >>>

 「舟に寄する歌」。1400の「足速の小舟」は、速力の速い小舟。「風守り」は、風のようすを窺い時期を待って、の意。「小舟」をふだんは素早く行動する男に、「風」を女の周囲にある妨げに喩えており、じれったい気持ちを歌っています。いつもは敏捷に見えるのに、もっと積極的に出てほしいと、相手の男に促す女の立場の歌でしょうか。

 1401の「水霧らふ」は、水が霧となり続ける、水煙が立ち続けている。「沖つ小島」は、沖にある小島。「風をいたみ」は、「・・・を・・・み」のミ語法で、風が激しいので。「小島」を女に、「舟」を男(自分)に譬え、女に逢わせまいとする親のことを歌っています。

 1402の「こと放けば」の「こと」は、同じこと、同様の意。「放けば」は、遠ざけるならば。「沖ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。ここは沖にいるうちにの意で、付き合って間もない時期の喩え。「辺著かふ時に」は、舟が岸に近づいている時に、の意で、いよいよ結婚するときになって、の喩え。「放くべきものか」の「か」は、反語。遠ざけてよいものか。結婚の直前になって破談を申し込まれて憤っている歌です。

 

 

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