大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

筑紫船いまだも来ねばあらかじめ・・・巻第4-556、565

訓読 >>>

556
筑紫船(つくしふね)いまだも来(こ)ねばあらかじめ荒(あら)ぶる君を見るが悲しさ

565
大伴(おほとも)の見つとは言はじあかねさし照れる月夜(つくよ)に直(ただ)に逢へりとも

 

要旨 >>>

〈556〉筑紫へ向かう船はまだ来てもいないのに、その前からよそよそしくしているあなたを見るのが悲しい。

〈565〉筑紫船は大伴の御津(みつ)に泊てますが、あなたに逢っていたとは言いません、誰が見ても分かるほど明々と照らす月の夜にじかにお逢いしているとしても。

 

鑑賞 >>>

 556は、賀茂女王(かものおおきみ)が、大伴三依(おおとものみより)に贈った歌。賀茂女王は、故左大臣長屋王の娘。大伴三依は、壬申の乱で活躍した大伴御行の子で、大伴旅人が太宰帥だった頃に筑紫に赴任したとされます。歌によると、二人は夫婦関係になっており、三依が筑紫へ出立する前の歌であることが知られます。「筑紫船」は、筑紫への航路を往き来する官船。「いまだも来ねば」は、まだ来てもいないのに。「あらかじめ」は、その前から。「荒ぶる」は、疎遠になる、よそよそしくする。「君」は、三依を指します。「見るが悲しさ」は、見ることの悲しさよ。

 ただでさえ遠い別れとなるのに、折から三依が通って来ないのを、別れた後に忘れられるのなら仕方ないけれども、まだ別れないうちから冷たく扱われるのを悲しんでいる歌とされますが、そうではなく、筑紫から帰る三依の変心を予想して悲しんだものとする説があります。それによると、「筑紫からの船はまだ帰って来ないけれど、冷たくなったあなたのお顔を見るのは悲しい」のような解釈になります。それまでの便りのやり取りなどから、既に破局を予感していたのでしょうか。

 565は「賀茂女王の歌」とある歌。「大伴の御津は」、難波の港のことで、それを踏まえて「御津」と同音の「見つ」に掛けた枕詞。「見つ」は、男女が関係を持つ意。「あかねさし」は、明々と照り差し。この「あかね」は、植物の茜から採った黄赤色の色名。鮮やかな黄赤色というより、かなり落ち着きのある色相だったといいます。「月夜」は、月そのものを指す場合がありますが、ここは月のある夜の意。「直に」は、直接に。筑紫へ向かう三依との別れを惜しむため御津に出向いた女王が、月夜の下でひそかに逢い、その喜びを詠った歌とされますが、あるいは短い逢瀬に満足できなかったため「見つとは言はじ」と言ったのでしょうか。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引