訓読 >>>
638
ただ一夜(ひとよ)隔(へだ)てしからにあらたまの月か経(へ)ぬると心(こころ)惑(まと)ひぬ
639
わが背子がかく恋(こ)ふれこそぬばたまの夢に見えつつ寝(い)ねらえずけれ
640
はしけやし間近き里を雲居(くもゐ)にや恋ひつつをらむ月も経なくに
641
絶ゆと言はば侘(わび)しみせむと焼太刀(やきたち)のへつかふことは幸(さき)くや我(あ)が君
要旨 >>>
〈638〉たった一夜逢わなかっただけなのに、もうひと月も経ったかのように寂しくて、心が乱れてしまいました。
〈639〉あなたがそれほどまでに恋してくださるので、夢にあなたが出てこられ、夕べは一睡もできませんでした。
〈640〉愛しいあなたがいる間近な里を、雲の彼方のように恋い続けるのだろうか、ひと月も経っていないのに。
〈641〉これで二人の仲は終わりだと言えば、私がわびしく思うだろうと、いつも優しそうに寄ってこられますが、それでよいのですか、あなたは。
鑑賞 >>>
638、640は湯原王の歌、639、641は娘子の歌。638の「隔てしからに」の「からに」は、~によって、ゆえに。原因が些細なわりに結果が重大なことを表す語法。「あらたまの」は「月」の枕詞。「あらたま」は、宝石・貴石の原石を指すものと見られますが、掛かり方は未詳。「月か経ぬると」は、もう1か月も経ったかのように思われて。639の「ぬばたまの」は、本来は黒・夜・闇などの枕詞ですが、ここは夜見る意で「夢」に掛けた枕詞。「見えつつ」は、見え続けて。「寝ねらえず」は、寝ても眠れない。
640の「はしけやし」は、ああいとしい。「間近き里」は、娘子の住む里。「雲居」は、雲のいる所で、きわめて遠い所の意。「経なく」は「経ぬ」のク語法で名詞形。「に」は、詠嘆。641の「絶ゆ」は、別れる意。「侘しみせむ」は、侘しい思いをしようか。「焼き太刀の」は「へつかふ」の枕詞。掛かり方未詳。「へつかふ」は、そばに寄ってくる、の意。「幸くや我が君」の「幸く」は、無事で、元気での意ですが、ここは何事もないの意に転用したもの。それでよいのですか、我が君。
これまでずっと熱烈なやり取りだったのに、641では急に歌の様子が変っています。娘子の許に通うことが間遠くなった湯原王に何らかの事情があったのか、それとも、この恋愛はほんの火遊びにすぎなかったのか。けっきょく二人の関係は破綻してしまったようです。それでも娘子は王の人柄を信じているようであり、窪田空穂は、「娘子の歌としては、初めて分別を働かせていっているものであるが、恨みを思う場合にも、善意に満ちたものである」と言っています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について