訓読 >>>
網児(あご)の山(やま)五百重(いほへ)隠せる佐堤(さで)の崎さで延(は)へし子が夢(いめ)にし見ゆる
要旨 >>>
網児の山々が多く重なった向こうに隠している佐堤(さで)の崎、そこで小網(さで)を広げて漁りをしていたあの子の姿が夢に出てくる。
鑑賞 >>>
市原王(いちはらのおほきみ:生没年未詳)の歌。市原王は、天智天皇の曾孫安貴王(あきのおほきみ)の子で、王族詩人の家系に生まれた人です。天平15年(743年)に従五位下、写経司長官、玄蕃頭、備中守、金光明寺造仏長官、大安寺造仏所長官、造東大寺司知事、治部大輔、摂津大夫、造東大寺司長官など、主に仏教関係事業の官職を歴任し正五位下に至りました。『万葉集』に8首の短歌を残し、大伴家持との関係をうかがわせる歌も多くあります。なお、父の安貴王は、大伴家持が親しく交際していた紀女郎の元の夫です。
「網児の山」は、三重県志摩市阿児町の英虞の地の海岸近くの山か。「五百重」は、幾重にも、の意。「隠せる」は、隠している。「佐堤の崎」は、志摩半島のどこかとされますが、所在未詳。「さで」は、漁具の小網。「延へし」は、広げていた。「子」は、女を親しんでの称で、ここは海人のこと。「夢にし」の「し」は、強意の副助詞。大和に住む市原王にとって、たまたま見た網児の海や、小網を使って漁りをしている海人の女の姿がたいそう珍しく心惹かれたと見えます。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について