訓読 >>>
694
恋草(こひくさ)を力車(ちからくるま)に七車(ななくるま)積みて恋ふらく我(わ)が心から
695
恋は今はあらじと我(わ)れは思へるをいづくの恋ぞつかみかかれる
要旨 >>>
〈694〉刈っても刈っても生い茂る恋草を、何台もの荷車に積むほど、恋の思いに苦しくて苦しくてならない。これも我が心ゆえ。
〈695〉もう今は恋することはないだろうと思っていたのに、どこに隠れていた恋がつかみかかってきたのだろう。
鑑賞 >>>
広河女王(ひろかはのおほきみ)の歌。広河女王は、穂積皇子(ほづみのみこ)の孫で、上道王(かみつみちのおほきみ)の娘。『続日本紀』天平宝字7年(763年)の条に従五位下を授けられたことが見えます。694の「恋草」は、恋心の烈しさを、刈っても刈っても生えてくる旺盛な生命力の草に譬えたもの。「力車」は、人力で引く大型の荷車。「七車」の「七」は、数が多いことを表すのに常用される数。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。自分のせいなのに、どうにもできない恋心を自嘲している歌です。
695の「今はあらじと」は、今となっては我が身にはあるまいと。「いづくの恋ぞ」は、どこに潜んでいた恋か。「つかみかかれる」は「ぞ」の係り結びで、連体形。この歌は、祖父である穂積皇子の「家に有る櫃(ひつ)に鏁(かぎ)刺し収(おさ)めてし恋の奴(やつこ)がつかみかかりて」(巻第16-3816)を模したもののようです。ただし、穂積皇子の歌が聞く者の笑いを誘う歌であるのに対し、女王の歌には笑いはありません。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について