大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

うち渡す竹田の原に鳴く鶴の・・・巻第4-760~761

訓読 >>>

760
うち渡す竹田(たけだ)の原に鳴く鶴(たづ)の間(ま)なく時なしわが恋ふらくは

761
早川(はやかは)の瀬に居(ゐ)る鳥のよしをなみ思ひてありし我(あ)が子はもあはれ

 

要旨 >>>

〈760〉見渡す限りの竹田の原で鳴く鶴のように、私は絶え間もなくいつもあなたのことを気に懸けています。

〈761〉流れの速い川瀬にいる鳥のように、頼りどころがなくて心細げにしていたわが子が心配です。

 

鑑賞 >>>

 「大伴坂上郎女、竹田の庄より女子(むすめ)大嬢に贈れる歌」。「竹田」は、橿原市にある耳成山の東北のあたりの地で、大伴氏の荘園がありました。何かの用事で、娘の大嬢を置いて出かけてきたものとみえます。760の「うち渡す」は、広い地形を見渡す意。上3句は「間なく時なし」を導く譬喩式序詞。「間なく時なし」は、絶え間なくいつも。「恋ふらく」は「恋ふ」に「く」を添えて名詞形としたもの。この4・5句は古くから成句となっているものです。また、鶴は子をいつくしむ鳥と考えられていたようで、自身を鶴に譬えています。

 761の「早川」は、流れの速い川。上2句は、その川にいる鳥の、身を寄せるべき所がなくて不安そうにしている景から、「よしをなみ」を導く譬喩式序詞。「よしをなみ」は、拠り所がないので、どうしようもないので。頼る母がいない状態を言っています。「思ひてありし」は、思っている様子であった。この2首は、郎女が竹田の庄へ来ようとした時、大嬢が留守中を心細がって嘆いていたようすを思い出して作った歌らしく、古今、子を心配する母の気持ちは変わらないようです。

 なお、別掲の723~724、及びここの760~761の歌から、大伴氏は、跡見・竹田という、少なくとも2か所の田所(荘園)を持っていたことが分かります。723では「ふるさと」とも表現しているので、郎女には父祖伝来の領地という意識があったのかもしれません。しかし、ふだんは都の邸宅に住んでいるので、管理人を置いて日常の管理をさせ、春の作付けと秋の収穫には出向いて立ち会ったものと見られます。また、「月ごろ」という表現もあるので、その滞在期間は月を跨ぐほどの長期間だったことが窺えます。巻第8-1619~1620には、秋の収穫時に竹田の庄に下向していた郎女のもとを、家持が訪ねた時の歌が載っています。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

大伴坂上郎女の歌(索引)