大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

海原を遠く渡りて年経とも・・・巻第20-4334~4336

訓読 >>>

4334
海原(うなはら)を遠く渡りて年(とし)経(ふ)とも子らが結べる紐(ひも)解くなゆめ

4335
今(いま)替(かは)る新防人(にひさきもり)が船出(ふなで)する海原(うなはら)の上に波な咲きそね

4336
防人の堀江(ほりえ)漕(こ)ぎ出る伊豆手船(いづてぶね)楫(かぢ)取る間(ま)なく恋は繁(しげ)けむ

 

要旨 >>>

〈4334〉海原を遠く渡ってどれほど年月が経っても、愛しい妻が結んでくれた着物の紐を解いてはならない、決して。

〈4335〉今交替する新しい防人たちが船出して行く海原の上に、波よ、波頭を立てないでおくれ。

〈4336〉難波の堀江から漕ぎ出して行く伊豆手船、その楫を漕ぐ手が休む間がないように、妻への恋しさが募ってたまらないことだろう。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持の「防人の別れを悲しぶる心を痛みて作れる」歌(4331~4333)に続いて、2月9日に作った歌。4334の「子ら」は、防人の妻のこと。「結べる紐」は、夫婦が別れる際に、また逢うことを祈って互いに下紐を結び合ったこと。「ゆめ」は、決して。家にあって夫の帰りを待っている妻の心を思い、他の女と関係してはならないと戒めている歌。4335の「波なさきそね」の「な~そね」は、禁止。「咲く」は、波の泡が白く立つさまを花に譬えて言ったもの。

 4336の「堀江」は、難波の掘割。仁徳紀11年の条に、当時大和川・山城川が流入する河内湖が雨季に氾濫していたことから、沿岸住民の困窮を救うために、天皇難波宮の北に運河を開削し、大和川の水を西の海(大阪湾)に流す工事を起こした。この運河が堀江である、との記載があります。今の天満川のことだとされ、『万葉集』にもしばしば登場します。「伊豆手船」は、伊豆国の職人が造った船。「楫取る間なく」は、楫を操るのに絶え間ない意。上3句は、実景を述べると共に、その船を漕ぐ水夫が手を休めない意で「間なく」を導く序詞。「恋は繁けむ」は、妻への恋は繁くあろう。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

大伴家持の歌(索引)