訓読 >>>
1143
さ夜(よ)更(ふ)けて堀江(ほりえ)漕(こ)ぐなる松浦舟(まつらぶね)楫(かぢ)の音(おと)高し水脈(みを)早みかも
1144
悔(くや)しくも満(み)ちぬる潮(しほ)か住吉(すみのえ)の岸の浦廻(うらみ)ゆ行かましものを
1145
妹(いも)がため貝を拾(ひり)ふと茅渟(ちぬ)の海に濡(ぬ)れにし袖(そで)は干(ほ)せど乾(かは)かず
要旨 >>>
〈1143〉夜更けに難波の堀江を漕いでいる松浦舟、その櫓の音が高く響いている。水の流れが早いからであろうか。
〈1144〉残念なことに満ち潮になってきてしまった。住吉の岸辺を浦伝いに行こうと思っていたのに。
〈1145〉妻のために貝を拾おうと、茅渟の海岸で濡らしてしまった着物の袖は、干してもいっこうに乾かない。
鑑賞 >>>
「摂津にて作れる」歌。摂津は、大阪府の北西部と兵庫県の東南部。大和への海の玄関口としての港があり、副都としての難波宮がありました。
1143の「さ夜」の「さ」は、接頭語。「堀江」は、海上の船が入れるようにした難波の堀で、今の天満川とされます。「漕ぐなる」は、漕ぐ音が聞こえる、の意で、「なる」は動詞の終止形につく助動詞「なり」の連体形で、目で見てはいないが耳で聞いたことを表しています。「松浦舟」は、肥前国の松浦の地で造られた舟。「伊豆手の船」(巻第20-4460)とともに、東西から参集する貨物運搬船の代表だったと見られます。「水脈早みかも」は、満潮または干潮になる前に水の流れが速くなることを言っており、自問しながらの詠嘆。
1144の「悔しくも満ちぬる潮か」の「か」は、上の「も」と呼応しての詠嘆。巻第3-265の「苦しくも降り来る雨か」や、巻第9-1721の「苦しくも暮れ行く日かも」などと同じ。「住吉の岸」は、大阪市住吉区、住吉大社あたりの海岸。「浦廻」は、海岸が湾曲して入り組んだところ。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。~を通って。「行かましものを」の「ものを」は、逆接的に詠嘆する終助詞。行こうと思っていたのに。
1145の「茅渟の海」は、住吉あたりから南の海。「茅渟」は、もと河内国だったのが、霊亀2年(716年)から和泉国となった、堺市から岸和田市にかけての地。濡れた袖を「干せど乾かず」と誇張して言っているのは、貝を拾う苦労の並々でなかったことを言い、妻への感傷の思いを訴えています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について