訓読 >>>
1146
めづらしき人を我家(わぎへ)に住吉(すみのえ)の岸の埴生(はにふ)を見むよしもがも
1147
暇(いとま)あらば拾(ひり)ひに行かむ住吉(すみのえ)の岸に寄るといふ恋忘(こひわす)れ貝(がひ)
1148
馬(うま)並(な)めて今日(けふ)我(わ)が見つる住吉(すみのえ)の岸の埴生(はにふ)を万代(よろづよ)に見む
1149
住吉(すみのえ)に行くといふ道に昨日(きのふ)見し恋忘れ貝(がひ)言(こと)にしありけり
要旨 >>>
〈1146〉愛すべき人と我が家に住みたい、そう思わせるここ住吉の岸の埴生を見る手だてがあればよいのに。
〈1147〉暇があったら拾いに行きたい。住吉の岸に打ち寄せられるという恋忘れの貝を。
〈1148〉馬を連ねて今日われらが見た住吉の岸の埴生を、いついつまでも繰り返し見たいものだ。
〈1149〉住吉に行く道で、昨日見つけた恋忘れ貝は、名前だけのことで、恋しい人を忘れることなどできない。
鑑賞 >>>
「摂津にて作れる」歌。摂津は、大阪府の北西部と兵庫県の東南部。大和への海の玄関口としての港があり、副都としての難波宮がありました。
1146の「めづらしき人」は、愛すべき人で、ここは女から男を指して言っているもの。上2句は、通って来る愛すべき男を女が自分の家に住まわせる、の意で「住吉」を導く序詞。「埴生」は、赤黄色の粘土。住吉の海岸には埴生が大きく露われており、それを用いて白い衣を染めるところから、珍しい物として名所となっていました。「見むよしもがも」の「よし」は方法、「もがも」は願望。都に住み、旅する機会のない女が、難波に行っている夫のことを思い、住吉の岸の埴生への憧れとともに詠んだ歌とされます。
1147の「暇あらば」、難波に供奉している官人の公務の時間的ゆとりがあれば、の意。「恋忘れ貝」は、恋の苦しさを忘れられることができるという、二枚貝の貝殻の片方、または一枚貝。1148の「馬並めて」は、馬を連ねて。同輩らと共に難波宮から出かけたようです。1149の「行くといふ道に」は、わざと仰々しく言っているもの。「言にしありけり」は、単に言葉だけのもので、その実のないことよの意の成句。「し」は、強意の副助詞。「けり」は、詠嘆。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について