大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(48)・・・巻第20-4375~4377

訓読 >>>

4375
松の木(け)の並(な)みたる見れば家人(いはびと)の我(わ)れを見送ると立たりしもころ

4376
旅行きに行くと知らずて母父(あもしし)に言(こと)申(まを)さずて今ぞ悔(くや)しけ

4377
母刀自(あもとじ)も玉にもがもや戴(いただ)きてみづらの中に合(あ)へ巻かまくも

 

要旨 >>>

〈4375〉松の木が立ち並んでいるのを見ると、門出の際に、家族一同が並んで私を見送ってくれたようすにそっくりだ。

〈4376〉こんなに長い旅路になるとも知らないで、母父に別れの言葉も告げずに出てきたが、今となって悔やまれてならない。

〈4377〉母上がもしも玉であってくれたら、捧げ戴いてみづら髪に一緒に巻きつけように。

 

鑑賞 >>>

 下野国の防人の歌。作者は、4375が火長の物部真嶋(もののべのましま)。4376が寒川郡(さむかわのこおり)の上丁、川上臣老(かわかみのおみおゆ)、4377が津守宿祢小黒栖(つもりのすくねおぐろす)。下野国からの行程は、上り34日と定められていました。

 4375の「木(け)」は、キの訛り。「並みたる」について、ナラブが2つの物が揃っている場合に用いられるのの対し、ナムは3つ以上の物が列をなしている場合にいうとされます。「家人(いはびと)」は、イヘビトの訛りで、妻を主としての言。「立たりし」は「立ちありし」で、いつまでも立っていた。「もころ」は「如し」の古語。窪田空穂は、「この防人は、旅の路を行きながらも、門出の際、家族一同見送りをして、いつまでも立っていたのを、自分も遠くなるまでも振り返って見た時の印象を、偶然、野に立ち並んでいる松の木の幹を見ることによって連想し、それをそのままに直叙したのである。故郷恋しい心であるが、きわめて自然な状態で、昂奮せず、懐かしさも余情の程度として、落ちついて詠んでいるので、味わいの深い歌となっている。特色のある歌である」と述べています。

 4376の「知らずて」は、知らずして。「母父(あもしし)」は、オモチチの訛り。「言申さずて」は、暇乞いを申さずに。「悔しけ」は、クヤシキの訛り。この若者は、防人に徴兵されるという事態を理解せずに出立したのでしょうか、それとも所属の兵団から呼び出され、帰宅する暇も与えられずに出立させられたのでしょうか。こんなことがあったのかと疑われるような1首です。

 4377の「刀自」は主婦の意で、ここは女主人である母に対する尊称。「玉にもがもや」の「もが」は願望で、「も・や」は感動の助詞。「みづら」は、17~18歳の男子の髪型の一種で、頭髪を中央より左右に分け、耳の上で輪にして束ねたもの。白鳳時代に描かれたとされる有名な聖徳太子像には、太子の左右に、御子の山背大兄王と御弟の殖栗王が小さく描かれていますが、この2皇子の髪型がこれに当たるのではないかといわれます。唐制を模して冠や頭巾の類をかぶるようになってからは廃れたようです。「合へ」は、交えて。「巻かまく」は「巻かむ」のク語法で、名詞形。この時代、玉は護身の威力があるとの信仰があったといいます。

 

 

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