訓読 >>>
網引(あびき)する海人(あま)とか見らむ飽(あく)の浦(うら)の清き荒磯(ありそ)を見に来(こ)し我(わ)れを
要旨 >>>
人は、私を網を引く漁師だと思って見るだろうか。実際は、飽の浦の清い荒磯を見に来た私たちであるのに。
鑑賞 >>>
『柿本人麻呂歌集』から「覊旅(たび)にして作れる」歌1首。「網引(あびき)」はアミヒキの約で、魚をとるために陸から大勢で網を引くこと。「海人とか見らむ」の「か」は疑問、「らむ」は現在推量で、人は我々を漁師だと思って見るだろうか、の意。「飽の浦」は、所在未詳ながら、岡山市飽浦または和歌山市の西北端の田倉崎あたりかともいわれます。「荒磯(ありそ)」は、アライソの約。石の多い海岸。「見に来し我を」の「を」は「なるを・なのに」の意。都から磯見に来た旅人である我々なのに。人麻呂の歌に「荒栲(あらたへ)の藤江の浦に鱸(すずき)釣る白水郎(あま)とか見らむ旅行くわれを」(巻第3-252)があり、似通っています。
海辺の漁師は海人(あま)とよばれ、元来、一族で集団的な力を持っていて、大和朝廷がわの人間からは、かなり特異な目で見られていました。支配階級に属する官人たる都人が、第三者から卑しい海人と見られることは辛いことであったようで、「海人とか見らむ」は、都人の誇り、あるいは旅愁(嘆き・怒り・自嘲)を示す類型表現となっています。
『柿本人麻呂歌集』について
『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。
この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。
ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。
文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について