訓読 >>>
1199
藻刈(もか)り舟(ぶね)沖漕(こ)ぎ来(く)らし妹(いも)が島(しま)形見(かたみ)の浦に鶴(たづ)翔(かけ)る見ゆ
1200
我(わ)が舟は沖ゆな離(さか)り迎(むか)へ舟(ぶね)片待ちがてり浦ゆ漕(こ)ぎ逢はむ
要旨 >>>
〈1199〉藻を刈り取る海人の舟が沖の方から漕いで来るらしい。妹が島の形見の浦に鶴が飛び交っているのが見える。
〈1200〉我が舟よ、沖の方に離れないでおくれ。迎えの舟をひたすら待ちながら、浦を漕いで行き逢おう。
鑑賞 >>>
「覊旅(たび)にして作れる」歌。1199の「藻刈り舟」は、海人が沖の海藻を刈り取る舟。「妹が島」は、和歌山市加太町の沖にある今の友ヶ島の古名かといいます。「形見の浦」は、妹が島が友ヶ島だとすると、加太の瀬戸を挟んだ対岸の入江。2つは別の地ではあるものの、やや遠く離れて見渡して一続きのものとして言っているようです。また、妹とそれに関係する形見ということを意識しているようでもあります。「鶴翔る見ゆ」は、浜にいた鶴の群れが、舟の近づくのに驚いて飛び立ったらしく、それが見えるという意。
「形見の浦」が、上記の地(和歌山市の西北部)だとすると、そこは大和から紀ノ川の北岸に沿って河口を出て、さらに和泉山脈の最西端となる突端の田倉崎を北に廻った所です。北方に大阪湾を望み、西方の友ヶ島の彼方に、紀淡海峡を隔てて淡路島が浮かびます。交通路としても、島伝いに淡路・四国に渡る南海道の要衝でもありました。
また、「鶴」が詠まれている歌は『万葉集』全体では47首あり、詠まれた季節も、遣新羅使が真夏の瀬戸内海を航行した折の歌が3首あるなど、こんにちのような越冬期だけの棲息ではなかったことが分かります。当時は各地の河川の出口のいたるところに鶴の好む湿原が広がっていたらしく、『万葉集』の鶴が全国に及んでいるのはそのためだったと見られています。
1200の「沖ゆな離り」の「ゆ」は、動作の起点・経由点を示す格助詞。「な」は、懇願的な禁止。沖の方へは離れて行くな、の意。「片待ちがてり」の「片待ち」は、ひたすら待ち。「がてり」は、しながら、がてら。「浦ゆ」は、浦を通過して、で、上の「沖ゆ」に対させたもの。地名はありませんが、「浦」は前歌の「形見の浦」でしょうか。「我が舟」は、前歌の「藻刈り舟」に対比していて、藻刈り舟は沖を漕いでいるけれども、我が舟は・・・と言っているようでもあります。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について