訓読 >>>
1223
海(わた)の底(そこ)沖(おき)漕ぐ舟を辺(へ)に寄せむ風も吹かぬか波立てずして
1224
大葉山(おほばやま)霞(かすみ)たなびきさ夜(よ)更(ふ)けて我(わ)が舟(ふね)泊(は)てむ泊(とま)り知らずも
1225
さ夜(よ)更(ふ)けて夜中(よなか)の方(かた)におほほしく呼びし舟人(ふなびと)泊(は)てにけむかも
要旨 >>>
〈1223〉沖を漕いでいるわが舟を、岸に向けて吹き寄せる風が吹いてくれないだろうか、波は立てないで。
〈1224〉大葉山に霞がかかり、夜も更けてきたというのに、われらの舟を泊める港が分からない。
〈1225〉夜が更けてきて夜中近くに、聞き取れないような声で呼び合っていた舟人たちは、どこかよい所に舟を泊めただろうか。
鑑賞 >>>
「覊旅(たび)にして作れる」歌。1223の「海の底」は、海の底の「奥(おき:水の深い所)」の意で「沖」に掛かる枕詞。「沖漕ぐ舟」は、上掲の解釈では作者自身の乗っている舟としていますが、岸にいて沖を漕ぐ舟を見ている人の心だとして、さらに寄りつかない男に譬え、「辺に寄せむ」と、こちらに来させるように仕向けてほしいとの寓意を含む女の歌とする見方もあります。「風も吹かぬか」の「ぬか」は、希求の意。
1224の「大葉山」は、紀伊国の山とされますが、所在未詳。海に近く、航海の目標になった山と見られます。一方、近江国の琵琶湖西岸の山とする説もあり、巻第9-1732重出歌(碁師の歌)が、近江国の高島郡・滋賀郡で詠まれた歌と並んでいるので、あるいは琵琶湖の西岸付近を航行する時の作かもしれません。「さ夜」の「さ」は、接頭語。「霞」は、ここは夜霧。「知らずも」の「も」は、詠嘆。
1225の「夜中の方に」は、夜中近くになって。一方、「夜中の潟に」だとして、近江国高島郡の地名とする説もあり、『人麻呂歌集』の「高島にて作る歌」と題する「旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも」(巻第9-1691)の「夜中」と同じ地ではないかといいます。「おほほしく」は、はっきりしない。「呼びし舟人」を、助けを求めている舟人だとして、その声が聞こえなくなって、どうしたのだろう、無事に泊めることができたのだろうかと心配している歌とも解せます。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について