訓読 >>>
1244
娘子(をとめ)らが放(はな)りの髪を由布(ゆふ)の山(やま)雲なたなびき家のあたり見む
1245
志賀(しか)の海人(あま)の釣舟(つりぶね)の綱(つな)堪(あ)へなくに心に思ひて出(い)でて来にけり
1246
志賀の海人の塩焼く煙(けぶり)風をいたみ立ちは上らず山にたなびく
要旨 >>>
〈1244〉乙女たちが解き放った髪を結うという、その名の由布の山に、雲よたなびかないでくれ。我が家のあたりを見ていたいから。
〈1245〉志賀の漁師の釣り舟を引き留める綱が荒波に耐えられないほどに、別れに堪え難く思いながら家を出てきてしまった。
〈1246〉志賀の漁師が藻塩を焼く煙が、風が激しく吹くので、上にのぼらず山の方へたなびいている。
鑑賞 >>>
「覊旅(たび)にして作れる」歌で、ここの3首は九州の歌。1244の「放りの髪」は、15、6歳ごろまでの童女の、髪を垂らした髪型。成人するとそれを結い上げることから、上2句は、同音の掛けことばで「由布」を導く序詞。「由布の山」は、大分県の別府温泉の西方にある由布岳(標高1,583m)。「雲なたなびき」の「な」は、禁止。豊後の国から東へ旅立つ人の、家郷のシンボルとしての由布岳見納めようとする歌です。また序詞からは、放りの髪を彷彿させる若妻が里にあることが察せられます。
1245の「志賀」は、博多湾に浮かぶ志賀島。現在は砂州で陸続きになっています。上2句は、釣り舟の綱が玄界灘の荒波に切れないでいることができないように、の意で「堪へなくに」を導く譬喩式序詞。「堪へなく」は「堪へず」のク語法で名詞形。原文「不堪」で、アヘカテニと訓むものもあります。窪田空穂は、「京の官人の志賀の地へ来ての歌と取れる。それだと『出でて来にけり』は京のわが家で、故郷を思った心である」と言っています。
1246の「風をいたみ」は「~を~み」のミ語法で、風がひどいので。「塩焼く煙」は、塩をとるために火を燃やす煙。土器や土釜に入れた海水を煮沸して塩を取り出すため、長時間にわたって薪を燃やし続ける必要がありました。志賀は、製塩で有名だったといいます。なお、この歌の左注に「右の件の歌は、古集の中に出づ」とあります。古集がどういう集か不明で、他に「古歌集」とあるのと同一かどうかも不明です。また「右の件の歌」がどの範囲を指すかについても明らかではありません。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について