訓読 >>>
4463
霍公鳥(ほととぎす)まづ鳴く朝明(あさけ)いかにせば我(わ)が門(かど)過ぎじ語り継(つ)ぐまで
4464
霍公鳥(ほととぎす)懸(か)けつつ君が松蔭(まつかげ)に紐(ひも)解き放(さ)くる月近づきぬ
要旨 >>>
〈4463〉ホトトギスが最初に鳴く夜明け、いったいどうしたら、我が家の門を素通りさせずにいられるのだろうか、後々に語り草になるほどに。
〈4464〉ホトトギスの鳴き声を気にかけながらあなたが待ち焦がれる、その松の木陰で着物の紐を解いて遊べるほどの時が近づいてきた。
鑑賞 >>>
大伴家持の歌。4460~4462の歌に続き、天平勝宝8年(756年)3月の聖武太上天皇の難波行幸に随行し、難波滞在中の3月20日に詠んだ歌。霍公鳥が鳴き始めるのは立夏(旧暦の4月5日)のころとされていたので、その時期を思い浮かべて詠んだもののようです。4463の「朝明」は「あさあけ」の略で、早朝。「我が門過ぎじ」は、わが門を鳴き過ぎずに、とどまっているだろうか。この句について本居宣長は、上にイカニとあれば「過ぎざらん」と言うべきで、厳密には誤用であると指摘しています。
4464の「懸けつつ」は、心にかけつつ。「松陰」は「待つ」に掛けています。「君」は、親しい友を指していると見られますが、誰のことかは分かりません。「松蔭」の松に「待つ」の語を掛けています。「紐解き放くる」は衣の紐を解き放つで、ここでは、くつろいで宴などを行う意。「月近づきぬ」は、4月、立夏の日が近づいた。
聖武太上天皇は、この時から間もない5月2日に崩御、19日に佐保山稜に葬られました。上皇の死去は、その後の政局に大きな影響を及ぼす画期となります。