訓読 >>>
1360
息(いき)の緒(を)に思へる我(わ)れを山ぢさの花にか君がうつろひぬらむ
1361
住吉(すみのえ)の浅沢(あささは)小野(をの)の杜若(かきつばた)衣に摺(す)りつけ着む日知らずも
1362
秋さらば移しもせむと我(わ)が蒔(ま)きし韓藍(からあゐ)の花を誰(た)れか摘(つ)みけむ
要旨 >>>
〈1360〉命がけで思っている私なのに、あなたはもう、エゴノキの花がすぐしぼむように心変わりをなさったのですか。
〈1361〉住吉の浅沢の小野に咲いている杜若よ、その花で衣を染める日が、いつになったら来るのか知られないことよ。
〈1362〉秋になったら移し染めもしようと思って、私が蒔いた韓藍の花を、いったい誰が摘んでしまったのだろう。
鑑賞 >>>
「花に寄する」歌。1360の「息の緒に」は、呼吸の続く間で、命がけで、絶え間なく。「山ぢさ」は、エゴノキ(別名チシャノキ)とするのが通説で、初夏の頃に白色小弁の花が咲く落葉高木。無数の花がいっせいに散ると、地面が真っ白になります。ただし、イワタバコ科の多年草である岩煙草(いわたばこ)とする説もあります。「花に」は、花のごとくに。「か」は、疑問の係助詞。「君がうつろひぬらむ」は、君の心は変わったのだろうか。男の心変わりを責める女の歌です。
1361の「住吉の浅沢小野」は、住吉神社の東南、墨江方面にかつてあった低湿地の野。「杜若」は、池や沼などに自生する宿根草で、初夏のころ花アヤメに似た紫色または白色の花を咲かせます。ここは、美しい女性の譬喩。「衣に摺りつけ着む日」は、自分の妻とする日の意。「知らず」は、知られないことよ。憧れの女性と結ばれる日はいつのことになるのだろうと遠く夢見ている男の歌です。
1362の「秋さらば」は、秋になったら。「移し」は、移し染め。色を移して染めること。この時代には、花を摘み取って衣につける、いわゆる摺り染めが行われていました。「韓藍」は、韓の国から渡来した藍の意味で、ケイトウ(鶏頭)の古い呼び名。ここは我が妻にと思っていた女の譬え。「誰か摘みけむ」は、誰が摘んでしまったのだろう、で、他の男が妻にしてしまったという譬喩。女を他人に取られた男の悔しさを歌った歌ですが、娘の結婚についての思惑がはずれた親の嘆きの歌とする見方もあります。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について