大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

霜の上にあられたばしりいや増しに・・・巻第20-4298~4300

訓読 >>>

4298
霜の上にあられたばしりいや増しに我(あれ)は参(ま)ゐ来む年の緒(を)長く

4299
年月(としつき)は新(あら)た新たに相(あひ)見れど我(あ)が思(も)ふ君は飽(あ)き足らぬかも

4300
霞(かすみ)立つ春の初めを今日(けふ)のごと見むと思へば楽しとぞ思ふ

 

要旨 >>>

〈4298〉霜の上に霰(あられ)が飛び散るように、いよいよ繁く私は参上しましょう、幾年も長く

〈4299〉年月は改まるごとに巡り会えますが、お慕いする我が君は、いくらお逢いしても見飽きることがございません。

〈4300〉春の初めのめでたい時を、今日のようにこれからもお逢いできると思うと楽しゅうございます。

 

鑑賞 >>>

 天平勝宝6年(754年)正月、大伴一族が家持邸に集まって祝賀の宴を開いた時に詠まれた歌3首。作者は、4298が大伴千室(おほとものちむろ)、4299が大伴村上(おほとものむらかみ)、4300が大伴池主

 4298の「たばしり」の「た」は接頭語で、走って。しぶきのように一面に飛び散る意。ここまでの2句は、霜の上にさらに霰が加わる意で「いや増し」を導く譬喩式序詞。「「年の緒」の「緒」は、「緒」は、年の継続する意で添えて語感を強めたもの。大伴千室は「左兵衛督」との肩書があるものの、伝未詳。左注に「古今未だ詳らかならず」とありますが、窪田空穂は、「序詞は眼前を捉えた新風のものであり、それ以下も(家持の)家を対象としての物言いで、古歌とは見えないものである。賀詞は古歌の流用でも事足りたので、こうした疑いが起こったものとみえる」と述べています。

 4299の「新た新たに」は「新たに」を重ねて強めたもので、新しくなるたびに。「我が思う君」は家持を指しています。なお、この歌にも「古今未だ詳らかならず」との注記がありますが、窪田空穂は、「これも賀詞としては特殊なもので、ことに結句の『飽き足らぬかも』の、第四句との続きは、明らかに不熟な点のあるものである。古歌の流用とはみえない」と述べています。大伴村上は、大伴氏における系譜は未詳ながら、天平勝宝6年(754年)頃に民部少丞(民部省の三等官、従六位相当)、宝亀2年(771年)に従五位下に進み、翌年阿波守となった人。『万葉集』には、短歌4首。

 4300の「霞立つ」は「春」の枕詞。「春の初め」は、年頭。池主は、家持が少納言になって越中から帰京して2年後の天平勝宝5年(753年)に、池主は左京少進となって帰京していました。この3年後、橘奈良麻呂による反藤原のクーデター計画に与したことが露見して投獄され、その後の消息が失われています。この歌は、池主の最後の歌とされます。

 家持が大伴氏の族人の年賀を受けたのは、彼が氏長者のような立場であったことを示すもののようです。律令制下でも旧族内部では氏族意識が強く残っており、大伴氏においても佐保大納言家の若き当主家持(37歳)を慕う気風は廃れていなかったのでしょう。もっとも、この月末に帰朝することになる胡麻呂の出席がないのは仕方ないにしても、稲公や駿河麻呂、麻呂らの家持と同列ないしはそれ以上の者が列席した気配はなく、家持自身の歌も残されていません。ひょっとすると、それほど盛大な賀宴ではなかったのかもしれません。

 

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