大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

梅花の歌(7)・・・巻第5-840~846

訓読 >>>

840
春柳(はるやなぎ)縵(かづら)に折りし梅の花(はな)誰(たれ)か浮かべし酒杯(さかづき)の上(へ)に

841
うぐひすの音(おと)聞くなへに梅の花(はな)我家(わぎへ)の園(その)に咲きて散る見ゆ

842
我(わ)がやどの梅の下枝(しづえ)に遊びつつ鴬(うぐひす)鳴くも散らまく惜しみ

843
梅の花(はな)折りかざしつつ諸人(もろひと)の遊ぶを見れば都しぞ思(も)ふ

844
妹(いも)が家(へ)に雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも

845
鴬(うぐひす)の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため

846
霞(かすみ)立つ長き春日(はるひ)をかざせれどいやなつかしき梅の花かも

 

要旨 >>>

〈840〉春柳の髪飾りに挿そうと皆で折った梅の花、いったい誰が浮かべたのであろう、めぐる盃の上盃に。

〈841〉ウグイスの鳴く声を耳にし、折しもこの我らの庭に梅が咲いては散っている。

〈842〉我らの庭の梅の下枝を飛び交いながら、ウグイスが鳴いている。まるで散りゆく梅を惜しむかのように。

〈843〉梅の花を折り取って髪にかざしながら人々が遊んでいるのを見ると、奈良の都のことが偲ばれる。

〈844〉妻の家に降る雪かと見まごうばかりに、しきりに散り乱れる梅の花であるよ。

〈845〉ウグイスが待ちかねていた梅の花、どうか散らないでおくれ、そなたを思う子のために。

〈846〉霞の立つ春の長い一日を、梅の小枝を髪飾りにして遊んでいるけれど、ますます離しがたい、この梅の花は。

 

鑑賞 >>>

840は、壱岐目・村氏彼方(そんじのおちかた)の歌。
841は、対馬目・高氏老(こうじのおゆ)の歌。
842は、薩摩目・高氏海人(こうじのあま)の歌。
843は、土師氏御道(はにしうじのみみち)の歌。
844は、小野氏国堅(おのうじのくにかた)の歌。
845は、筑前掾・門氏石足(もんじのいそたり)の歌。
846は、小野氏淡理(おのうじのたもり)の歌。

 目(さかん)は、国の四等官。下国(壱岐対馬)の目は、少初位上相当。中国(薩摩)の目は、大初位下相当。掾(じょう)は、国の三等官。上国(筑前)の掾は、従七位上相当。なお、843・844・846の作者については、官職名が記されていません。

 840の「梅の花誰か浮かべし」の「し」は「か」の係り結び。梅の花は誰が浮かべたのか。「酒盃」は、自分の前に巡って来たもの。酒盃に梅の花を浮かべることは、風流のわざとして行われていたようで、別の歌にも見えます。841の「音聞くなへに」の「音」は、鳴き声。「なへに」は、とともに、同時に。842の「やど」は、家の敷地、庭先。「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。844の第1句は、帥邸にあって「妹が家」の雪を歌うのは不適当なので、「雪・行き」の掛け言葉による枕詞とする見方もあります。「雪かも」の「かも」は、疑問。「ここだ」は、甚だしく。「まがふ」は、乱れている。「梅の花かも」の「かも」は、感動。845の「待ちかてにせし」は、待ちかねていた。「ありこそ」の「こそ」は、願望の助動詞「こす」の命令形。「思ふ子」は、梅の花を愛するウグイスと解する説もあります。846の「いや」は、ますます。

 843ほか幾首かの歌で、梅の花を「かざす」ことが詠まれていますが、風流の宴での「かざし」は「みやび(宮び)」を象徴する行為であり、都から遠い大宰府での「かざし」は、都への望郷の念を強く呼び起こすものでもあったことでしょう。また、818・825・840の歌には「縵(かづら)」が詠み込まれていますが、縵にしているのは宴の主たる景物の梅ではなく、いずれも青柳となっています。柳のかづらを詠む例は多く、その強い生命力にあやかろうとしているものです。

 なお、846の作者の小野氏淡理は、天平宝字2年(758年)に渤海大使となった小野朝臣田守とされ、小野氏は、小野妹子をはじめとして対外交渉という重要な任を果たした氏です。当宴に列席した小野氏は、老(816)、国堅(844)、淡理(846)の3人で、うち老と淡理の歌が、冒頭第2首と末尾の重要な位置を占めています。

 

 

 

官人の位階

親王
一品~四品

諸王
一位~五位(このうち一位~三位は正・従位、四~五位は正・従一に各上・下階。合計十四階)

諸臣
一位~初位(このうち一位~三位は正・従の計六階。四位~八位は正・従に各上・下があり計二十階。初位は大初位・少初位に各上・下の計四階)

これらのうち、五位以上が貴族とされた。また官人は最下位の初位から何らかの免税が認められ、三位以上では親子3代にわたって全ての租税が免除されました。
さらに父祖の官位によって子・孫の最初の官位が決まる蔭位制度があり、たとえば一位の者の嫡出子は従五位下、庶出子および孫は正六位に最初から任命されました。

『万葉集』掲載歌の索引

『万葉集』の年表