訓読 >>>
847
我(わ)が盛(さか)りいたくくたちぬ雲(くも)に飛ぶ薬(くすり)食(は)むともまた変若(をち)めやも
848
雲(くも)に飛ぶ薬(くすり)食(は)むよは都(みやこ)見ばいやしき我(あ)が身また変若(をち)ぬべし
要旨 >>>
〈847〉私の盛りはすっかり過ぎてしまった。たとい雲に飛ぶ薬を飲んだところで若返ることがあろうか、ありはしない。
〈848〉雲に飛ぶ薬を飲むよりは、奈良の都を見たならば、いやしき我が身も若返るだろうに。
鑑賞 >>>
ここの歌は、天平2年正月13日、大伴旅人の邸宅での宴で詠まれた「梅の歌」32首(巻第5-815~846)の後に、「員外、故郷を思ふ歌」との題詞で載せられているものです。「員外」は、梅花32首の員数外という意味で、このように言うのは、32首は「梅花の歌」であり、ここは「故郷を思う歌」で、その内容が異なっているからです。作者名は記されていませんが、明らかに大伴旅人の作であり、梅花32首に添えて、後の「後に梅花の歌に追和した」4首(849~852)や「松浦川に遊ぶ歌」(853~863)と共に、都の吉田宣(きったのよろし)に送られたものです。吉田宣は百済系の帰化渡来人で、医者であり、著名な方士(神仙の術を身につけた者)でもあったため、このような神仙的な趣の歌を添えたようです。
847の「くたちぬ」は、盛りを過ぎてしまった、衰えた。「雲に飛ぶ薬」は、不老不死の仙人となって天空を自由に飛べるようになる仙薬のこと。「変若めやも」の「変若」は、老いたものが若返る意、「や」は反語、「も」は詠嘆。848の「食むよは」は、飲むよりは。「また変若ぬべし」は、再び若返るだろう。都を一目見ることこそ若返りの薬なのだとうたっています。これら2首は「故郷を思う歌」とあるものの、内容は自らの老いの嘆きとなっています。
宴で披露された歌の多くは、春の到来を寿ぐ祝意に満ちてはいますが、ここの歌から感じられるのは、望郷や老いの嘆きにとどまらず、時勢の推移を複雑な思いでながめる旅人の苦いまなざしではありますまいか。なお、吉田宣からの返簡として旅人に贈られた歌が、巻第5-864~867に載っています。この同じ年(天平2年:730年)の暮れに、旅人は大納言に任じられて都に帰ることになります。