訓読 >>>
884
国(くに)遠き道の長手(ながて)をおほほしく今日(けふ)や過ぎなむ言(こと)どひもなく
885
朝露(あさつゆ)の消(け)やすき我(あ)が身(み)他国(ひとくに)に過ぎかてぬかも親の目を欲(ほ)り
要旨 >>>
〈884〉故郷から遠い旅路にあって、恨めしくも今日この命を終えなければならないのか、親たちにお別れを告げることもなく。
〈885〉朝露のようにはかない我が命だけれど、このような他国では死ぬに死にきれない。親に一目会いたい。
鑑賞 >>>
臨終の大伴熊凝(おほとものくまごり)の気持ちを、麻田陽春(あさだのやす)が代作した歌。肥後(熊本)から旅立った熊凝は、都へ向かう道半ばの安芸(広島)で亡くなりました。麻田陽春は、天平2、3年ころに大宰府に大典(書記官:大宰府四等官の上席)として在任し、大伴旅人が上京の際に餞として詠んだ歌など4首を『万葉集』に残しています。ここの歌は、熊凝の死を憐れんだ麻田陽春が山上憶良に示したもので、憶良がそれに答えて作ったのが次にある886~891の歌とされます(熊凝が亡くなった事情はこちらを参照ください)。旅人が不在となった後、陽春などが憶良と詩歌を語る友人だったのかもしれません。
884の「国遠き」の「国」は、熊凝の生国である肥後の国。「長手」は、長い道のり。「おほほしく」は、心晴れずに。「今日や過ぎなむ」の「や」は疑問の係助詞、「過ぎ」は、死ぬ意。「な」は完了の助動詞ヌの未然形、「む」は推量助動詞の連体形で「や」の係り結び。「言どひ」は、言葉をかけること。885の「朝露の」は「消」の枕詞。「過ぎかてぬ」の「かて」は、~できるという意の補助動詞カツの未然形で、死に得ぬ、死ぬに死なれぬ。「親の目を欲り」は、親の顔を見たくて。