大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

水底の玉さへ清に見つべくも・・・巻第7-1082~1086

訓読 >>>

1082
水底(みなそこ)の玉さへ清(さや)に見つべくも照る月夜(つくよ)かも夜(よ)の更けぬれば

1083
霜曇(しもぐも)りすとにかあるらむひさかたの夜(よ)渡る月の見えなく思へば

1084
山の端(は)にいさよふ月を何時(いつ)とかも我(あ)が待ち居(を)らむ夜(よ)は更けにつつ

1085
妹(いも)があたり我(わ)が袖(そで)振らむ木(こ)の間より出(い)で来る月に雲なたなびき

1086
靫(ゆき)懸(か)くる伴(とも)の男(を)広き大伴(おほとも)に国(くに)栄(さか)えむと月は照るらし

 

要旨 >>>

〈1082〉川の水底の玉さえはっきり見えるほどに照り輝く月だ。夜も更けてしまったので。

〈1083〉霜が降ろうとして曇っているのあろうか、夜空を渡る月が見えないのを思うと。

〈1084〉山の稜線で出るのをためらっている月、いつ出ると思って私は待っていたらいいのだろうか。夜が更けていくのに。

〈1085〉妻(恋)のいるあたりに向かって袖を振ろう。木の間から出て来る月に、雲よたなびかないでおくれ。

〈1086〉靫(ゆき)を背負う伴の男たちが大勢いる大伴の地に、いよいよ栄えていけとばかりに月が照り輝いているらしい。

 

鑑賞 >>>

 「月を詠む」歌。1082の「玉」は、貝や美しい小石。「清に」は、はっきりと。「見つべくも」の「つ」は完了の助動詞の強調の用法。「べく」は可能の助動詞。「も」は詠嘆の助詞。見ることができるほどに。「月夜」は、月。1083の「霜曇り」は名詞で、霜の降る前に水蒸気が空に漲って曇ること。「すとにかあるらむ」は、するというのであろうか。「ひさかたの」は「夜」の枕詞。「見えなく」は「見えぬ」のク語法で名詞形。見えないことを。

 1084の「山の端」は、山のふち。「いさよふ」は、躊躇する、ためらう。「何時とかも」は、いつ出ると思って。なかなか来ない恋人を待つ歌、あるいは宴席に来ない人を待つ歌とされます。1085の「妹があたり」は、妻のいる家の辺り。「袖振らむ」は、袖を振ろう。袖を振るのは、衣服の袖には魂が宿っていると信じられており、離れた者との間で相手の魂を呼び招く呪術的行為でした。「雲なたなびき」の「な」は、禁止で、動詞の連用形で結びます。わが袖を振るのを妻に見せようとするがために言っています。

 1086の「靫」は、矢を入れて背負う武具。「懸くる」は、背負う。「伴の男」は、朝廷に仕える男たち。「広き」は、同族の多い。以上2句は「大伴」を導く譬喩式序詞。「大伴」は、大伴氏発祥の地で、大阪市から堺市にかけての海岸一帯。「照るらし」の「らし」は、確信的な推量の助詞。大伴一族が、月の照る夜に集まって酒宴を開き、その席上で詠まれた歌とされます。武の誉れ高い大伴氏は、時代の流れと共にその勢力が衰えていくものの、結束力は高かったとみえます。

 

 

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