大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

海原の遠き渡りを風流士の・・・巻第6-1016

訓読>>>

海原(うなはら)の遠き渡りを風流士(みやびを)の遊ぶを見むとなづさひぞ来(こ)し

 

要旨 >>>

広い海のはるばる遠い海路を、この国の風流人たちの遊ぶさまを見ようと、苦労しながらやって来ました。

 

鑑賞 >>>

 天平9年(737年)春2月に、大夫たちが左少弁巨勢宿奈麻呂朝臣(さしょうべんこせのすくなまろあそみ)の家に集まって宴会したときの歌。左少弁は、太政官左弁局の判官。巨勢宿奈麻呂は、神亀5年(728年)に外従五位下天平元年(729年)に、少納言として、舎人親王新田部親王らと共に、長屋王の罪を糾問した人。『万葉集』には、短歌2首。

 左注に「この一首は、白い紙に書いて部屋の壁に掛けた。その題に『蓬莱(ほうらい)の仙媛(やまびめ)が化身した嚢縵(ふくろかずら)は、風流秀才の士のためのものだ。これは凡俗の客の目には見えないだろう』という」旨の記載があり、主人の宿奈麻呂が作ったものとされます。「蓬莱の仙媛」は、常世の国に住む仙姫。「嚢縵」は、日用品を入れる嚢(ふくろ)の形をした縵。「遠き渡り」の「渡り」は、航路。「風流士」は、風流を解する男子。「なづさひ」は、波にもまれ難渋しながら。「ぞ」は係助詞で、「来し」はその結び。憧れの存在である仙姫が、風流才子らの遊ぶさまを見ようと苦労してやって来たといって、集った客人らを喜ばせています。この歌は、神仙思想に関する一資料を提供している点と、歌を白紙に書いて壁にかけ鑑賞する趣味がすでにたったことを示す点が、文化史的に見て興味があるものとされます。

 

 

神仙思想

 古代中国で、不老長寿の人間、いわゆる仙人の実在を信じ、みずからも仙術によって仙人になろうと願った思想。前4世紀頃から、身体に羽が生えていて空中を自由に飛行できる人が南遠の地や高山に住んでいるとか、現在の渤海湾の沖遠くに浮ぶ蓬莱などの三神山に長生不死の人とその薬があるとかいう説があります。燕の昭王や斉の威王、宣王や秦の始皇帝漢の武帝は、特にそれに心をひかれたらしく、始皇帝は、徐(じょふつ:徐福とも)らの方士に童男童女数千人を伴わせて蓬莱山へ不死の薬を求めに行かせています。この神仙思想が道家思想や五行説と結びついて成立した宗教が、中国3大宗教の一つとされる道教です。日本には仏教や文学書などとともに伝わり、8~9世紀にはかなり流行しました。ただし日本の場合は表面的な不老長生願望がほとんどであり、道との一体化という側面はあまり見られません。

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

『万葉集』掲載歌の索引