訓読 >>>
1135
宇治川(うぢがは)は淀瀬(よどせ)なからし網代人(あじろひと)舟呼ばふ声をちこち聞こゆ
1136
宇治川に生(お)ふる菅藻(すがも)を川(かは)早(はや)み採(と)らず来にけりつとにせましを
1137
宇治人(うぢひと)の譬(たと)への網代(あじろ)我(わ)れならば今は寄らまし木屑(こつみ)来(こ)ずとも
1138
宇治川(うぢがは)を舟渡せをと呼ばへども聞こえざるらし楫(かぢ)の音(おと)もせず
1139
ちはや人(ひと)宇治川(うぢがは)波を清みかも旅行く人の立ちかてにする
要旨 >>>
〈1135〉この宇治川にはゆるやかな浅瀬が無いらしい。網代人たちの、舟を操ったまま呼び合う声があちこちから聞こえる。
〈1136〉宇治川に生えていた菅藻を採って帰りたかったが、川の流れが早いので採らずじまいになってしまった。家へのみやげにすればよかったのに。
〈1137〉宇治人の譬えのようにいわれる網代に、私が女だったらとっくに引っかかっていように。木屑なんかやって来なくても。
〈1138〉宇治川を舟で渡してくれと大声で呼んでも、いっこうに聞こえないらしい。櫓の音すらしてこない。
〈1139〉宇治川の波があまりに清らかだからか、旅行く人が、みなここを立ち去りかねている。
鑑賞 >>>
「山背(やましろ)で作る」歌。「山背」は、山城の国(京都府南部)。1135の「宇治川」は、琵琶湖から発する瀬田川の京都府に入ってからの名。水量の豊富な急流。「淀瀬」は、歩いて渡れるような、緩やかな流れの浅瀬。「網代人」は、川の中に簀(す)を設けて漁をする人。「網代」は、川瀬の両側に杭を打ち、竹や柴を編んで並べて魚を捕る仕掛け。「呼ばふ」は、呼び続ける。「をちこち」は、遠く近く、あちらこちらで。
1136の「菅藻」は、菅に似た食用の藻か。「川早み」は、川の流れが速いので。「つと」は、みやげ。「せましを」の「まし」は、事実に反して仮想する助動詞。「を」は、逆接的に詠嘆する助詞。1137の「宇治人の譬への」は、宇治人を譬える意。「寄らまし」の原文「王良増」は訓義が確定しておらず、「居らまし」と訓み、「ここで待っています」のように解するものもあります。「木屑」は、つまらない女の譬えか。自分から網代に引っ掛かりたいと、女の立場で戯れた歌、あるいは、宇治人を、女を引っかける男としてからかった歌ではないかとされます。宴席での遊行女婦の歌かもしれません。
1138の「舟渡せをと」の「を」は、詠嘆。「呼ばへども」は、大声で呼び続けるけれども。「楫」は、舟を漕ぎ進める道具、櫓。この歌について斎藤茂吉は、「たぶん夜の景であろうが、宇治の急流を前にして、規模の大きいような、寂しいような変な気持ちを起こさせる歌である。これは、『呼ばへども聞こえざるらし』のところにその主点があるためである」と言っています。1139の「ちはや人」は、勢い猛き人の氏(うじ)の意で、同音の「宇治」にかかる枕詞。「清み」は「清し」のミ語法で、清いので。「かも」は、疑問。「立ちかてにする」の「かてに」は、~することができないで、~しかねて。
いずれの歌も、宇治川を詠んでいます。山城を通る旅人にとって宇治川は最も重要な渡し場であり、旅宿りの場所であり、また豊かで清らかな遊覧の場所でもあったのでしょう。集中、地名の「宇治」は18を数え、そのうち「宇治川」「宇治の渡り」が16を数えるのを見ても、渡河の要地宇治川への関心の強さが分かります。ただし、渡河点がどこだったかは明らかではありません。ここの歌は、宇治川のほとりの、遊覧する旅人の宴席での作と見られています。