訓読 >>>
1211
妹(いも)があたり今ぞ我(わ)が行く目のみだに我(わ)れに見えこそ言(こと)問はずとも
1212
足代(あて)過ぎて糸鹿(いとか)の山の桜花(さくらばな)散らずもあらなむ帰り来るまで
要旨 >>>
〈1211〉妹(の山)の近くを今まさに過ぎて行こうとしている。せめて顔だけでも見せてほしい、言葉は交わさなくとも。
〈1212〉足代(あて)を過ぎてさしかかった糸鹿(いとか)の山の桜花よ、帰って来るまで散らずにいておくれ。
鑑賞 >>>
「覊旅(たび)にして作れる」歌。1211の「妹があたり」は、本来は「恋人の住む家の近くを」の意ですが、ここは背の山と並ぶ「妹の山あたり」の意に転用しています。「目のみだに」は、せめて顔だけでも。「見えこそ」の「こそ」は、願望。「言問はずとも」は、物を言わなくても。
「背の山」と「妹の山」は、大和国から紀伊国へ向かう要路、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある山で、紀の川を挟んで北岸に「背の山」、南岸に「妹の山」が並んでいます。川を堰き止めるような地形になっており、南海道を往来する人々の目標となる山でした。当時の行程では、飛鳥からここまで2日、奈良からは3日かかりましたから、ここを通る京の旅人の多くは、二つの山の名に、旅愁、妻恋しさを感じたようです。この地を詠んだ歌は『万葉集』中14首あります。
1212の「足代」は、有田市・有田郡。「糸鹿の山」は、有田市糸我町の南にある山。「散らずもあらなむ」の「なむ」は、他に対する願望の終助詞。大和より逸早く咲く熊野路の峠の桜への感動と愛惜の思いをうたっています。山桜は葉と花とが同時に開きますが、今も、3月下旬ごろには、糸我峠の付近は、あちらこちらに山桜の開花が見られます。あるいは「桜花」は、その地の女性を譬えたものとも言われます。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について