訓読 >>>
1426
わが背子(せこ)に見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば
1427
明日(あす)よりは春菜(はるな)摘まむと標(し)めし野に昨日(きのふ)も今日(けふ)も雪は降りつつ
要旨 >>>
〈1426〉あなたに見せようと思った梅の花なのに、それとも見分けがつかない、雪が降っているので・・・。
〈1427〉明日から春の若菜を摘もうとしめなわを結っておいた野に、昨日も今日も雪が降り続いている。
鑑賞 >>>
山部赤人の歌。1426の「わが背子」という表現は、ふつう女性が男性に対して親しみを込めて呼ぶ言葉ですが、ここでは男性から男性に呼びかけており、用例は少なくありません。第2句の「見せむと思ひし」は8文字の字余りになっていますが、句中に単独母音オを含むので7音節に訓むことができます。「それとも見えず」は、雪に紛れて梅の花と見分けられない意。万葉人の多くは、桜より梅を愛したらしく、『万葉集』では梅の歌は桜のそれの3倍多く詠まれています。この歌にもあるように、梅は白梅だったようです。
1427の「春菜」の「菜」は、副食物の総称で、ここでは野に生える食用の雑草。春の若菜摘みとは、もともと新年の最初の子(ね)の日(初子)に行われた、まだ雪の残る寒い時期のイベントです。やがて1月7日に行われるようになり、私たちの七草粥の行事となりました。「標めし野」は、自分の領有を示すために標(しるし)をつけた野。一般的な方法としては、縄を引き渡していました。「雪は降りつつ」の「つつ」は、継続。「明日・昨日・今日」と日を細かく刻んでいるところに、作者の焦燥の感が窺えます。なお、1424から1427までは、題詞に「山部宿禰赤人が歌四首」とある歌で、春の野遊びでの宴歌とされます。
人名の下に付く「の・が」
『万葉集』の歌の題詞や左注の人名の下に付く連体助詞には、「の」と「が」との使い分けが見られます。上掲の歌では「山部宿禰赤人が歌」となっており、他にも「大伴宿禰家持が歌」「大伴坂上郎女が歌」などの例がある一方で、「大津皇子の御歌」「長屋王の歌」「太宰帥大伴卿の和ふる歌」などと記されているものがあります。
これらの使い分けは相対的であるものの、一般には次のように言われています。すなわち、自分自身や親しい間柄にある相手(親子、兄弟姉妹、夫婦など)や、目下の仲間や愛称の接尾語「ら」の付く者などに対しては「が」が用いられ、そうではない相手、たとえば畏怖すべき、または敬うべき相手(皇族、主君、親など)に対して、または相互に交流のない海人、山人などに対しては「の」が用いられています。別の言い方をすれば、内あつかいの人には「が」、外あつかいの人には「の」を用いているのです。そうした基準に基づいて、編者の立場から使い分けが行われているとされます。