大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

君に似る草と見しより我が標めし・・・巻第7-1347~1348

訓読 >>>

1347
君に似(に)る草と見しより我(わ)が標(し)めし野山の浅茅(あさぢ)人な刈りそね

1348
三島江(みしまえ)の玉江(たまえ)の薦(こも)を標(し)めしより己(おの)がとぞ思ふ未(いま)だ刈らねど

 

要旨 >>>

〈1347〉あなたに似ている草と知ってから、私が標縄を張った野山のあの浅茅を、どうか誰も刈り取らないで下さい。

〈1348〉三島江の薦にしるしをしてからは、私のものだと思っている。まだ刈り取ってはいないけれど。

 

鑑賞 >>>

 「草に寄する」歌。1347の「君に似る草」は、第4句の「浅茅」を男性に見立てての表現。「我が標めし」は、自分の物と決めたことの譬え。「浅茅」は、背丈の低いチガヤ。日当たりのよい場所に群生する草で、新芽に糖分が豊富なところから食用にされていました。「刈りそね」の「な~そね」は、禁止。あの人と逢引しようと標を結った野の草を、人に刈られまいと願っている歌、あるいは、女がひそかに思う男を他の女にとられまいとする心を詠んだ歌とされます。

 1348の「三島江」は、摂津国三島郡、淀川下流の入江。「三島江の玉江の薦」は、若い女の譬え。「玉江」の「玉」は、美称。「薦」(マコモ)は、全国いたるところで見られるイネ科の多年草で、夏に刈り取って筵(むしろ)の材料にしました。「標しより」は、標示した時から。「己がと」は、自分のものと。「ぞ」は、係助詞。「未だ刈らねど」は、まだ刈り取らないけれども。「刈る」は、妻にする喩え。男が女に対し、自分の相手として世間に公にした以上は、まだ共寝はしていなくとも、二人は夫婦になったのと同じだと思っている、と告げた歌です。

 

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

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