大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

霞立つ春日の里の梅の花・・・巻第8-1438、1660

訓読 >>>

1438
霞(かすみ)立つ春日(かすが)の里(さと)の梅の花(はな)花に問はむと我(わ)が思はなくに

1660
梅の花散らすあらしの音のみに聞きし我妹(わぎも)を見らくしよしも

 

要旨 >>>

〈1438〉霞が立つ春日の里に咲いている梅の花が咲いている。でも、花だけに対して物を言おうと思っているのではない。

〈1660〉梅の花を散らすあらしの音のように、噂にだけ聞いていたあなたにお逢いできた嬉しさよ。

 

鑑賞 >>>

 大伴宿祢駿河麻呂(おほとものすくねするがまろ)の歌。大伴駿河麻呂は、壬申の乱の功臣である大伴御行の孫ともいわれ(父は不詳)、天平15年(743年)に従五位下、同18年に越前守、天平勝宝9年(757年)の橘奈良麻呂の変に加わったとして、死は免れるものの処罰を受け長く不遇を託ち、のち出雲守、宝亀3年陸奥按察使(むつあぜち)、陸奥守・鎮守将軍として蝦夷(えみし)を攻略、同6年に正四位上・参議に進みました。宝亀7年(776年)に亡くなり、贈従三位。『万葉集』には短歌11首、勅撰歌人として『続古今和歌集』にも一首の短歌が載っています。また、大伴宿奈麻呂坂上郎女との間の娘、二嬢(おといらつめ)と結婚しています

 1438の「霞立つ」は、同音反復で「春日」にかかる枕詞。「春日の里」は、奈良市東方、春日山一帯の里。「春日の里の梅の花」は、女を暗示しており、下の「花」に同音で掛けている序詞。「花に問はむと我が思はなくに」は、花だけに対して物を言おうと(花だけに引かれて訪ねようと)思っているのではない、の意で、「花」は「実」に対比させての語。すなわち仇心ではなく我が実意を誓っているという歌です。二嬢に宛てたものとみられます。なお、第5句の「我が思はなくに」は8文字の字余りになっていますが、句中に単独母音オを含むので、7音節に訓むことができます。

 同じ巻第8に、二嬢の母である坂上郎女の「風交じり雪は降るとも実にならぬ我家の梅を花に散らすな」(1445)という、「我家の梅」を二嬢の喩えとして詠んだ歌があり、それと駿河麻呂のこの歌を絡めて説くものもあります。

 1660の「あらし」は、今の「嵐」というより、山から吹き降ろす風や、冬の北風を指しているとされます。上2句は、その音と続いて「音」を導く序詞。「音のみに聞きし」の「音」は、噂、評判の意。「見らくしよしも」の「見らく」は「見る」のク語法で名詞形。「し」は、強意の副助詞。この歌も二嬢のことを言っているものと見えます。

 

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

『万葉集』掲載歌の索引