訓読 >>>
春霞(はるかすみ)たなびく山の隔(へな)れれば妹(いも)に逢はずて月そ経(へ)にける
要旨 >>>
春霞がたなびく山に隔てられているために、いとしいあなたに逢うことがないままに月日が過ぎてしまった。
鑑賞 >>>
恭仁京にいる大伴家持が、奈良の家にいる大嬢に贈った歌。天平12年8月、太宰少弐の藤原広嗣が、政界で急速に発言権を増す唐帰りの僧正玄昉と吉備真備を排斥するよう朝廷に上表しましたが、受容れられず、9月に筑紫で反乱を起こす事件が起きました。10月、都に異変が勃発するのを恐れた聖武天皇は避難のため東国へ出発し、伊賀・伊勢・美濃・近江を経て山背国に入り、12月15日に恭仁宮へ行幸、そこで新都の造営を始めました。この時の家持は、内舎人として行幸に従っており、その翌年春に詠んだ歌とみられます。「奈良の家」は、坂上の里にある、坂上郎女の家か。
「たなびく」の原文「軽引」で、同じ用字の例は他にもあります。中国南宋の謝荘や沈休文などの漢詩に接した万葉人の、漢詩の知識を背景にした詩語の応用の一例とされます。「隔れれば」は、隔てているので。「逢はずて」は、逢わないまま。窪田空穂は、「事を事として素直にいっているのみであるが、その調べがおのずからに潤いを帯びていて、事がただちに気分化して親しくまつわってくるものがある。単純を極めた歌であるが、空疎を感じさせないのは、この調べのためである。これは家持の人柄から発しているもので、作者としては無意識のものである」と述べています。同じ時期の作と思われる歌が、巻第4-765~768にあります。