訓読 >>>
926
やすみしし わご大君(おほきみ)は み吉野の 秋津(あきづ)の小野の 野の上(へ)には 跡見(とみ)据(す)ゑ置きて み山には 射目(いめ)立て渡し 朝狩(あさがり)に 獣(しし)踏み起(おこ)し 夕狩(ゆふかり)に 鳥踏み立て 馬(うま)並(な)めて 御狩(みかり)ぞ立たす 春の茂野(しげの)に
927
あしひきの山にも野にもみ狩人(かりひと)さつ矢(や)手挾(たばさ)み騒(さわ)きてあり見ゆ
要旨 >>>
〈926〉安らかに天下をお治めになるわが天皇は、吉野の秋津野の一帯に、鳥獣の足跡を探す人を置き、山にはずっと獣を待ち伏せ、弓を射る人を置き、朝狩りには寝ている鹿を踏みこんで起き立たせ、夕狩りにはねぐらの鳥を踏みこんで飛び立たせ、馬を並べて狩りをなさることだ、草木の茂る春の野に。
〈927〉山にも野にもいっぱいに、天皇のお狩りの狩人が矢を手挟み、あちらこちらに入り乱れている。それがここから見える。
鑑賞 >>>
923~925と同じ、聖武天皇が吉野離宮に行幸なさった時に狩猟が催され、供奉した山部赤人が作った長歌と反歌。当時、狩猟は男子にとって最上の趣味とされており、行幸中の聖武天皇の慰みとして催され、赤人がそれを傍観しつつ詠んだ歌とされます。
926の「やすみしし」は「わご大君」の枕詞。「秋津の小野」は、吉野離宮の周囲にあった古い狩猟地。「小野」の「小」は、美称。「野の上」は、野のあたり一帯。「跡見」は、獣の足跡をたどってその行方を捜す役。「み山」の「み」は、美称。「射目」は、獲物を射るために隠れる場所。「踏み起し~踏み立て」は、踏みこんで伏し隠れている獣を起き立たせ、踏みこんで鳥を飛び立たせる。「馬並めて」は、馬を並べて。「茂野」は、草の茂っている野。狩猟は本来は草の枯れた冬の時期が最適とされましたが、行幸中の臨時の催しとしてのことで、「春の茂野」の時期に行われました。
927の「あしひきの」は「山」の枕詞。「み狩人」は、供奉の狩人なので、敬って「み」を付しています。「さつ矢」は、狩りに用いる矢。「騒き」は、原文「散動」で訓みが定まらず、ミダレ、サワギ、トヨミなどとも訓まれています。この反歌について窪田空穂は、「御猟場の、まさに獲物が現われて活動に移ろうとする直前の、緊張した状態を描いたもので、長歌の心を押し進めたものである。反歌として要を得たものである。静中動を含んだ、機微な空気をあらわしている」と述べています。