訓読 >>>
霍公鳥(ほととぎす)無かる国にも行きてしかその鳴く声を聞けば苦しも
要旨 >>>
ホトトギスのいない所があるなら行きたいものだ。その鳴き声を聞くと辛い。
鑑賞 >>>
弓削皇子(ゆげのみこ)の歌。「無かる」は、形容詞「無し」の連体形。「国」は、所、土地という狭い範囲の意で用いられています。「行きてしか」の「てしか」は、行為的願望の終助詞。行きたい、行ってしまいたい。ホトトギスは、その哀調を帯びた鳴き声が愛され、『万葉集』には、ホトトギスを詠んだ歌が153首もあります。ここは、中国の蜀の望帝が山中に隠棲し、その霊魂がホトトギスになったという故事を思い起こしているのかもしれません。病弱だった作者が、その亡き声を忌避している歌です。
弓削皇子(673年?~没年699年)は、天武天皇の第6皇子で、母は天智天皇の娘の大江皇女。同母兄に長皇子。持統天皇10年(696年)の太政大臣・高市皇子薨去後の、皇太子を選ぶ群臣会議で、軽皇子(後の文武天皇)をたてることに異議をとなえようとし、葛野王(かどののおう)に叱責され制止されたことで知られます。本来であれば皇位継承順位第一位となるはずだった同母兄の長皇子を推薦しようとしたのだと推測されています。
『万葉集』には8首の歌が残されており、これは天武天皇の皇子のなかで最多。異母姉妹の紀皇女を思って作った歌、額田王との問答歌などがあります。また、それとは別に『柿本人麻呂歌集』に皇子に献上された歌が5首残されており、交流の跡が偲ばれます。なお、皇子は、文武天皇3年(699年)7月に27歳?の若さで、兄や母に先立って没しましたが、『万葉集』を根拠に、軽皇子の妃であった紀皇女と密通し、それが原因で持統天皇によって処断されたとの説があります。
霍公鳥の故事
霍公鳥(ホトトギス)は、特徴的な鳴き声と、ウグイスなどに托卵する習性で知られる鳥で、『万葉集』には153首も詠まれています(うち大伴家持が65首)。霍公鳥には「杜宇」「蜀魂」「不如帰」などの異名がありますが、これらは中国の故事や伝説にもとづきます。
―― 長江流域に蜀(古蜀)という貧しい国があり、そこに杜宇(とう)という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興、やがて帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の治水に長けた男に帝位を譲り、自分は山中に隠棲した。杜宇が亡くなると、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来ると、鋭く鳴いて民に告げた。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは、ひどく嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 帰りたい)と鳴きながら血を吐くまで鳴いた。ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった。――