訓読 >>>
946
御食(みけ)向(むか)ふ 淡路の島に 直(ただ)向ふ 敏馬(みぬめ)の浦の 沖辺(おきへ)には 深海松(ふかみる)摘み 浦廻(うらみ)には 名告藻(なのりそ)刈る 深海松(ふかみる)の 見まく欲しけど 名告藻の おのが名(な)惜(を)しみ 間使(まつか)ひも 遣(や)らずて我(われ)は 生けりともなし
947
須磨(すま)の海女(あま)の塩焼き衣(きぬ)のなれなばか一日も君を忘れて思はむ
要旨 >>>
〈946〉淡路島の真向かいの敏馬の浦の沖合いでは、海底深く生えている海松(みる)を摘み取り、浦のあたりでは名告藻を刈っている。その深海松の名のように、あの人を見ることを欲するけれど、名告藻(なのりそ)の名のように、浮名が立つのが惜しいので、使いの者をやることもできず、私は生きている心地になれない。
〈947〉須磨の海女の塩焼き衣を着慣れるように、あなたに馴れ親しんだら、一日でもあなたのことを忘れることができるだろうか。
鑑賞 >>>
難波津から船出をして、敏馬(みぬめ)の浦を過ぎる時に、山部赤人が作った歌。「敏馬の浦」は、神戸市灘区岩屋あたりの海岸。左注には、この歌の作歌年月が未詳ながら、前の歌(942~945)と似ているのでこの順序で載せる、とあります。前の歌も作歌年月は不明で、巻第3-322~323の伊予国への下向時の作品かと推察されているものです。
946の「御食向ふ」の「御」は美称、「食」は食物。「粟(あは)」「葱(き=ねぎ)」「蜷(みな=にな)」などの食物と同じ音を含むことから、「味原(あぢふ)」「淡路(あはぢ)」「城(き)の上(へ)」「南淵(みなぶち)」などの地名にかかる枕詞。この枕詞は、献上歌にのみ用いられていることが指摘されています。「直向かふ」は、真向かいに向かう。「沖辺」は、沖の方。「深海松」は、海底深く生えている海松(みる)で、食用の海藻。動詞の「見る」を掛けています。「名告藻」は、海藻のホンダワラとされます。「間使ひ」は、便りを持って往復する使者。「生けりともなし」は、生きている気もしない。近くでおすすめのレストラン
947の「須磨」は、神戸市須磨区一帯の地。敏馬に接した地であり、製塩が行われる地として聞こえてもいました。「塩焼き衣」は、海女が浜で海水を取り、塩焼きをするときの作業服。粗末な衣であったので、古びてよれよれになる意の「なれ」に続けて「なれ」を導く序詞としたもの。「なれ」は、上の意の「なれ」を、親しみ馴れる意の同音の「馴れ」に転じたもの。「なばか」の「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形、「ば」は仮定、「か」は疑問。「なれなばか」は、上の解釈とは別に、あなたと別れている日々に馴れてしまったら、のように解するものもあります。また、「君」とあるので、女の立場に立って歌ったという見方もありますが、「妹」を「君」と呼ぶのはこの時代から始まったともいわれ、ある程度例のある用法です。