訓読 >>>
1474
今もかも大城(おほき)の山に霍公鳥(ほととぎす)鳴き響(とよ)むらむ我(わ)れなけれども
1475
何しかもここだく恋ふる霍公鳥(ほととぎす)鳴く声聞けば恋こそまされ
1484
霍公鳥(ほととぎす)いたくな鳴きそひとり居(ゐ)て寐(い)の寝(ね)らえぬに聞けば苦しも
要旨 >>>
〈1474〉今頃ちょうど、大城の山でホトトギスが鳴き立てているのだろう。私はもうそこにいないけれど。
〈1475〉何でこんなにもホトトギスを待ち焦がれているのだろう。その鳴き声を聞いたら聞いたで、人恋しさがつのるだけなのに。
〈1484〉ホトトギスよ、そんなにひどく鳴かないでおくれ。独り眠れないでいる今の私には、お前の鳴き声を聞くのは苦しくてならない。
鑑賞 >>>
大伴坂上郎女の歌。1474は「筑紫の大城の山を思ふ」歌。「大城の山」は、大宰府の背後にある大野山で、山頂に百済式の山城が築かれていました。郎女は、妻を亡くした旅人とともに大宰府に住んでいましたが、天平2年(730年)11月、旅人より一足早く帰京し、その翌年の夏に詠んだ歌です。「今もかも」の「かも」は疑問の係助詞で、結びの「らむ」は連体形。ホトトギスの声を聞いた大宰府時代の日々を懐かしく回想した歌です。
1475は「霍公鳥」の歌。「何しかも」は、何だって、どうして。「し」は、強意の副助詞、「かも」は、疑問の係助詞。「恋ふる」は、その結び。「ここだく」は、こんなにはなはだしく。数量の多いことをいう数量副詞の「ここだ」に「く」を付けて形容詞的に用いたもの。ホトトギスの声を求める風流な心の一方で、その声にかえって恋心をかき立てられることを嘆いた歌です。窪田空穂は、「郎女としては珍しい、純知性的な、荒い歌である」と述べています。
1484の「いたくな鳴きそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「寐の寝らえぬに」は、眠ることができないのに。「らえ」は、自発、可能の意を添える接尾語「らゆ」の未然形。「ぬ」は、打消の助動詞連体形。この歌について作家の大嶽洋子は、「眠れないで苦しむ一人寝のせつなさを、夜の闇に鳴くほととぎすと分かち合っているようなこの歌は、私にはほととぎすの声をむしろ頼みとして、ずうっと鳴いて欲しいと思っている、反語のように受け取れる」と述べています。また、不眠について歌ったのは万葉も時代が下がったこの郎女の歌が初めてだそうです。