大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

暇なみ五月をすらに我妹子が・・・巻第8-1504

訓読 >>>

暇(いとま)なみ五月(さつき)をすらに我妹子(わぎもこ)が花橘(はなたちばな)を見ずか過ぎなむ

 

要旨 >>>

暇がなく、もう五月になったというのに、妻の家の花橘を見ないで終わってしまうのだろうか。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「高安の歌一首」とあり、高安王(たかやすのおおきみ)の歌であるとされます。編集時にすでに臣籍降下していたので、「王」の字を削ったのではないかとされています。「暇なみ」は、公務が忙しくて暇がないので。「五月をすらに」の「すらに」は、さえも、の意。「我妹子が花橘を」は、妻の家の花橘を。「見ずか過ぎなむ」の「か」は疑問、「な」は強意、「む」は推量。仕事の多忙のゆえに妻の家の花橘を見に行く暇も取れない嘆きの歌であり、窪田空穂は、「巧拙をいうほどの歌ではないが、身分ある人でないと、持てない気分のある歌」と評しています。

 高安王は、敏達天皇の孫である百済王の後裔。和銅6年(713年)に従五位下養老元年(717年)従五位上。同3年伊予守として阿波、讃岐、土佐三国の按察使。同5年正五位下神亀元年(724年)正五位上、同4年従四位下。同11年に大原真人の姓を賜わって臣籍降下しました。弟に風流侍従として知られる門部王・桜井王、娘に高田女王がいます。

 

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

『万葉集』掲載歌の索引