訓読 >>>
1370
はなはだも降らぬ雨(あめ)故(ゆゑ)にはたつみいたくな行きそ人の知るべく
1371
ひさかたの雨には着ぬを怪しくも我(わ)が衣手(ころもで)は干(ふ)る時なきか
1372
み空行く月読壮士(つくよみをとこ)夕(ゆふ)去らず目には見れども寄る縁(よし)もなし
要旨 >>>
〈1370〉そんなに激しく降る雨ではないのに、あふれ出た雨水よ、そんなにあわてて流れないでほしい、人が気づいてしまうから。
〈1371〉雨の降る時に着ることはないのに、不思議にも、私の衣の袖は濡れそぼって乾くことがない
〈1372〉光り輝くお月様のお姿は毎夕拝見していますが、一向に近寄る手立てがありません。
鑑賞 >>>
1370・1371は「雨に寄する」歌。1370の「はなはだも降らぬ雨故」は、二人がそうたびたび逢っているわけでもないのに、の意の譬喩。「にはたつみ」は、夕立ちなど急な雨であふれ流れる水。ここは男の譬喩。「いたくな行きそ」の「いたくは、ひどく。「な~そ」は懇願的な禁止で、ひどく流れて行くな、の意。「人の知るべく」は、人が知るだろうに。全部が譬喩となっており、男と関係を結んでまだ幾程もない女が、人に見咎められたり噂されるようなことはしないでほしい、つまり、おおっぴらに帰らないでほしいと言っている歌です。
1371の「ひさかたの」は、天の枕詞が転じて「雨」の枕詞となったもの。「雨には着ぬを」は、雨の中ではこの衣は着ないのに。「を」は、詠嘆。「あやしくも」は、不思議にも、どうしてか。「衣手」は、袖。「干る時なきか」の「か」は、詠嘆の助詞。男の疎遠を恨み、「雨」を涙の比喩として、袖が乾くことがないと言っています。
1372は「月に寄する」歌。「み空」の「み」は接頭語で、空の美称。「月読壮士」は、月を擬人化した表現。「壮士」は、若々しい男の称で、月が日々に新しくなり若く感じられるところからきています。ここでは身分の高い男の喩え。「夕去らず」は、夕方になるといつも。「寄る」は、近寄る、関係を持つ。「縁」は、手蔓。身を任せたいと思っているものの、身分の隔たりから近寄ることのできない男性への憧れを歌っています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について