大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

をみなへし秋萩交る蘆城の野・・・巻第8-1530~1531

訓読 >>>

1530
をみなへし秋萩(あきはぎ)交(まじ)る蘆城(あしき)の野(の)今日(けふ)を始めて万世(よろづよ)に見む

1531
玉櫛笥(たまくしげ)蘆城(あしき)の川を今日(けふ)見ては万代(よろづよ)までに忘らえめやも

 

要旨 >>>

〈1530〉おみなえしと秋萩が入り交じって咲いている蘆城の野を、今日を始めとして幾度もやってきて見よう。

〈1531〉蘆城の川を今日見たからには、後々までどうして忘れられようか。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「大宰府の諸卿大夫あはせて官人等、筑前国の蘆城の駅家(うまや)にして宴(うたげ)する歌」とある作者未詳歌。「諸卿大夫」は、高官。「諸卿」は帥、大弐、「大夫」は国守、少弐を指します。「官人等」は、下位の役人たち。ここの歌は、新任の大宰府下僚の歌ではないかとみられています。「蘆城の駅家」は、大宰府の東南、今の筑紫野市阿志岐付近にあった駅家。「駅家」は、馬屋の意で、公務で往来する官人のために馬を準備していた宿駅の館。

 1530の「をみなへし」は、秋の七草の一つで、秋に小粒の黄色の花を咲かせる多年草。原文「娘部思」で、『万葉集』では他に「美人部師」「佳人部為」「姫部思」などと表記されています。この時代にはまだ「女郎花」の字は使われていませんでしたが、いずれも美しい女性を想起させるものです。「今日を始めて」は、今日を始めとして。1531の「玉櫛笥」は、櫛を納める立派な箱を讃えて言ったもので、それを開ける意で、類音の「あしき(蘆城)」の枕詞としたもの。「忘らえめやも」の「え」は自発、可能の助動詞「ゆ」の未然形。「やも」は、疑問的反語。いずれの歌も、駅家のある蘆城野を賛美した歌です。

 

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

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