訓読 >>>
さを鹿の萩に貫(ぬ)き置ける露の白玉 あふさわに誰(た)れの人かも手に巻かむちふ
要旨 >>>
牡鹿が、萩の枝に通しておいた露の白玉、その白玉をいったい誰が気軽に我が手に巻こうなどと言うのか。
鑑賞 >>>
藤原朝臣八束(ふじはらのあそみやつか)の、旋頭歌形式の歌。 藤原八束は、藤原四兄弟の一人、藤原房前(ふじわらのふささき)の第3子で、後に真楯(またて)と改名。天平12年(740年)に従五位下から従五位上となり、右衛士督、式部大輔、左少弁、治部卿などを歴任し、天平勝宝2年(750年)ごろには従四位上、ついで参議、大宰帥に任じられました。『続日本紀』薨伝に、「度量弘深、公輔の才あり。官にあっては公廉にして慮私に及ばず、聖武天皇の寵愛厚く、詔して奏宣叶納(天皇への奏上と勅旨の伝達)に参ぜしめられ、明敏にして時に誉れあり、その才を従兄仲麻呂に妬まれて病と称し家に籠もって書籍を弄んだ」旨の記載があります。藤原一族でありながら、大伴家持と親交があったようで、『万葉集』にもそのことが窺える記述があります。また、天平5年ころ、山上憶良の病床にも見舞いの使者を立てています(巻第6-978)。『万葉集』には短歌7首、旋頭歌1首。
この歌は、旋頭歌形式(5・7・7・5・7・7)の歌。「さを鹿」の「さ」は、接頭語で、牡鹿のこと。「さを鹿の萩に貫き置ける露の白玉」は、朝の萩に露の繁く美しく置いているのを讃えたもの。「萩」は牡鹿の妻で、昨夜の逢瀬の別れを惜しんで泣いた涙が、露の白玉となって残っていると見ています。「あふさわに」は、軽々しく、軽率に、たやすくの意の副詞。「手に巻かむちふ」の「ちふ」は「といふ」の約。「誰れの人かも」の「かも」は、疑問と詠嘆。萩に置く朝露の白玉のように美しいのを手玉にしようとする人のあるのを見て、その露は牡鹿との別れを惜しんでの涙である、軽々しくそうしようと言うのは、いかにもあわれを知らない人であると、訝かり怪しんで咎めた歌です。他人の大切な女性を軽率に我がものにしようとする男を咎める寓意があるともいいます。
歌の形式
片歌
5・7・7の3句定型の歌謡。記紀に見られ、奈良時代から雅楽寮・大歌所において、曲節をつけて歌われた。
旋頭歌
5・7・7、5・7・7の6句定型の和歌。もと片歌形式の唱和による問答体から起こり、第3句と第6句がほぼ同句の繰り返しで、口誦性に富む。記紀や 万葉集に見られ、万葉後期には衰退した。
長歌
5・7音を3回以上繰り返し、さらに7音の1句を加えて結ぶ長歌形式の和歌。奇数句形式で、ふつうこれに反歌として短歌形式の歌が1首以上添えられているのが完備した形。記紀歌謡にも見られるが、真に完成したのは万葉集においてであり、前期に最も栄えた。
短歌
5・7・5・7・7の5句定型の和歌。万葉集後期以降、和歌の中心的歌体となる。
仏足石歌体
5・7・5・7・7・7の6句形式の和歌。万葉集には1首のみ。